その百十九 結城市結城大町 『不動堂』


 観光ガイドもらっていくのがめんどくさかったので街中の観光地図をなんとなく眺めて適当に街歩き。観光資源を有するとはいえ近代以降は地場産業で成長した結城市のような都市は、市内の観光地図というモノにやたらと小さい寺社まで載っている。地図に多々ある「〜堂」「〜神社」、その一々の由緒について博物館等で掴まえた人等に聞いてみるが「昔からある」事以外の話は得られない。要はみんなその由緒を知らない。由緒は知らないが「昔からソコにあること」は知っているので比較的多くお参りをする。
 この『不動堂』もそんなお堂の一つで、市内の地図を見ると市街地の辻中にポツンと黒いドットで表され「不動堂」とだけ書かれている。近くに寄ってみると、ごく普通の交差点の脇、お堂とその他講の記念碑、二十三夜塔が整然と並ぶ。目の前には横断歩道。子供がお行儀良く渡る。
 適当に立派、適当に摩耗。お堂の額は適当に由緒ありげ。ということでお堂の扉の隙間から中を覗くと、厨子に覆われた祭壇。タブンあの中にお不動さんが鎮座在す事見れば容易に解るのに、開かない扉の先、御簾の扉の殊の外厚いことが口惜しい。つまりは、御本尊拝観すること能わず。そしてお堂の内部、ものの見事に物置と同居。
 物置と言っても個人的なモノが所かまわず放り込まれているわけでなく、地域の行事で使っていそうな用途の良くわからない幟や掃除用具が雑然と置かれて、好意的に見れば地域密着、穿って見ればただの怠慢。厨子の前の爐に近く香の焚かれた形跡はなく、燈台に燈明の灯された形跡もない。ただ燈台の方には灯されないまでも燈明はそのまま置かれてはいるので決してほったらかしではないこと言い訳程度に宣言しても何とか罰は免れそうだ。
 実は燈明、正しく普通通り、燈明の燈明らしく置かれているワケではない。今夏(平成20年のこと)の厳しい猛暑にお堂ごと晒されたまま、その形の変じることを免れたお堂の代わりと言っては語弊があるが、本来真っ直ぐに立っていねばならない蝋製の燈明が、熱に変じて引力のまま曲がり、その頭は床を指す。それはもうグニャリと。お陰で、一瞬にして、このお堂が気に入った。後は、厨子の中の偶像の姿さえ拝むことができれば申し分はないのだが、それは叶いそうもない。保育園帰りらしい子供の手を引く母子連れがお参りした後反対方向に去っていった。