『集団奉行所破り』

 世は八代将軍の頃。大坂で宿を営む勘助(金子信雄)の元には一風クセのありそうな人々が集っている。彼らは嘗ての大坂一の大商人、河内屋のシンパを得て海賊として名を鳴らした無法者で、河内屋がその財産を狙う奉行と御用商人達の罠にはまり家財没収の上獄門に処された後陸に上がり表向きは宿屋を営む勘助の元、密かに無法家業に勤しんでいたのだった。ある日勘助は久々に嘗ての海賊仲間を呼び出す。大恩あり大坂の民からも慕われた河内屋の七回忌の法要の資金調達のため、またその日頃より権力を笠に着ての横暴の鼻を明かすため大坂東町奉行所に押し入り不正によって蓄えた金銀財宝をいただこうというのだ。一味の軍師こと勘助の指揮の元、道伯(内田良平)、丹次郎(里見浩太朗)、捨吉(神戸瓢介)、源太(大友柳太郎)、吉蔵(田中春男)に亡き仲間の妹お駒(桜町弘子)らはそれぞれの特技に依って行動を開始する。

 士農工商の枠に依らない外れ者達が権力に立ち向かい痛快に暴れ回る物語は、特に「東」に対しての反骨精神旺盛ななにわの人々にウケの良いテーマなのだろう。舟を降りた七人のならず者、そのモチーフは歪な七福神といったところか。お調子者アリ、色男アリ、乱暴者アリ、と七人それぞれの個性を際立たせ奉行所突撃への準備を、との図式はそんなに面白くない。その理由は、七人の中で一番活躍しそうな金子信雄が「軍師」として知恵を出すだけ終わり実際の行動に乏しいこと*1、面々で一番目立つ「色男」役の里見浩太朗が途中まで役割通りの働きを見せながら後でどんでん返し的にその役割を佐藤慶にさらわれしまうこと(後述)が大きかったせい。もっとも、誰でもかんでも斬って回る浪人役の大友柳太郎のアブナさは嫌いではなく、「素惚け」と仲間からコケにされながらも桜町弘子との純愛を成就させる田中春男の役割には惹かれたので別に全部が全部否定しているワケではない。が、中盤まで正直退屈だった。
 佐藤慶が初登場したシーン、奉行の忠実な腹心として、有力商家に横柄に金の無心に来る役で、人呼んで「マムシの金治郎」。彼が奉行所の同心として勤める理由は「嘗て奉行の陰謀によって河内屋が取りつぶされた際、番頭でありながら奉行へ寝返り同心の役を手に入れた」とのバックグラウンド、年若い娘と同居している。いつもの、陰険(さが魅力的な)悪役か〜と思わしといて、中盤まさかの裏切りを遂げる。連中に拉致されて拷問を受け、奉行所の見取り図を描くよう強要されるが頑として応じず。対して連中は追撃を緩めず「しゃべらなければ娘を手込めにして叩き売る」と身内への危害を仄めかすや佐藤慶豹変、何故かというとかの娘とは・・・。何故主家の娘を保護したのか、純粋に主家への義理立てか? それともここでもほのかな純愛が? 作中ではその真意を語ることはないが、いずれにせよこの中盤の佐藤慶の魅せ場から俄然物語が面白くなる。
 「あいつ信用していいんかいな?」 佐藤慶が演じる役について、ではなくあくまで作中のセリフ。クライマックスの、奉行所中敵味方巻き込んでの斬り合いは、あまりに多く詰め込みすぎた感じで乱雑な印象。確かに、連中の素性を語る上で大嵐の中での乱闘ははずせない演出なんだろうが、それにしてももっとすっきり出来なかったか? まあこのシーンで最期を迎える佐藤慶に免じよう(おい!)*2。大友柳太郎もここで最期を迎える。佐藤慶・大友柳太郎・田中春男とこの作品で共感が持てたキャラクターはこの三人の演じる役。この三人のみキャラの描き込みがしっかりとされ厚みがあるからなんですね。多の主要キャラにそれがないのが不思議だ。ただなにわ独特の言葉回しによるセリフは面白い。どちらかと言えば触れる機会の多い江戸言葉に比べて比喩の表現が独特だし。

*1:知恵を出す以外にからの特性から唯一活躍できそうな場面である、奉行所同心役として取り調べに来た佐藤慶をあしらう場面が描かれていなかったことは致命的だと思う

*2:佐藤慶が遅れて斬り合いに参加するシーンは本当にイイよ! なぜなら「この場所から逃げようとする海賊衆」に対して「明らかに死地に飛び込む」覚悟の対比が見せ場だから