『祇園の暗殺者』

 頃は幕末の京都、安政の大獄で志士達を弾圧した井伊大老が暗殺された後。薩摩藩士出身の志戸原兼作(近衛十四郎)は夜な夜な勤王攘夷の浪士達を指揮し「奸賊斬り」と称して佐幕、開国派の人物を殺し回り、同じ薩摩の大久保一蔵(原田甲子郎)をして「素面で人が斬れる唯一の人物」と称されていた。ある日、自分を頼って来たという同郷の田代新次郎(菅貫太郎)という若者を同輩に加えるようになるが、この男、功名心に焦るあまり独断専行に走る気があり、志戸原としても扱いかねていたが彼の同志、土佐勤王党武市瑞山(佐藤慶)は田代の度胸の良さを高く買っていた。その頃、自分が両親を殺したことで孤児となった役人の娘お鶴(北沢典子)という娘に追われているところを匿ってもらった事から知り合い、情が沸きなじみの芸者の辰路(千原しのぶ)に預ける。その後、武市より京を離れて同志の結束を依頼されるがそこで聞くのは武市の悪い噂。多少の疑念を抱きつつも京に戻った志戸原を待ち受けていたのは・・・。

 さすが東映の時代劇。娯楽映画(のハズ)なのにこれだけ暗い要素を織り込んで堂々と上映するのだからたいしたモノです。上映当時の客の反応はどうだったんでしょうか?
 松方弘樹のお父さん、近衛十四郎の主演作も初見。「泣きそうになりながら叫ぶセリフ」のシーンが親子でそっくりなのに感心した。幕末志士モノの主役を張るのにちょっとお腹とお顔の弛みが気になるのもご愛敬。その分(?)殺陣の激しさは眼福モノ。と言っても本作では近衛自身参加しての斬り合いの場面はそんなに多くない。ついでに言えば「チャンバラ」と言い換えることのできる斬り合いのシーンは殆ど無い。殆どが刀を持つ者が一方的に刀を持たない者を斬り殺すシーン。追われ、斬られる様はまるでイヌのようである。これは映画において重要な鍵。近衛自身が関わるシーンで最も印象深いのは一番最後、追われる者として嘗ての同志達に追い詰められていくシーン、カメラは京の町家を再現した狭い路地のセットを、逃げ回る近衛を真上からカメラが追うシーンが一番印象に残る*1。結局逃げ切れず、嘗て自身が多くの人々を殺め、晒し物にした三条河原で嘗て自身が引き立てた後輩役の菅貫太郎によって最期を遂げる。しかも、彼の命を奪うのは刀ではなく菅の持つ短銃・・・徹頭徹尾イヌのような生き様が強調される。最期の倒れるシーンが昔の映画らしくクドい事を除けばこのシーンは完璧。もちろん、この暗殺劇を裏で糸を引くのは佐藤慶・・・。
 近衛演ずる薩摩藩士志土原兼作のモデルが誰かは知らない。一方、文字通り飼い犬同然の扱いから最期は彼に下克上する菅貫太郎演ずる田代新次郎のモデルは明らかに当時「人斬り」の異名で恐れられた田中新兵衛、なぜ彼の名前を変えたのはあくまでも歴史的リアリズムを徹底させるつもりからだろう。他の主要人物は全て当時実際に存在した人物、その当時起こった歴史的背景も出来るだけ忠実に表現、あまり知られていない事件*2まで描く徹底振りがスゴイ、と思ったら脚本は笠原和夫のオリジナルなんですね。
 その笠原が描き、佐藤慶演ずる武市瑞山、高邁英知の君子振りを後世に伝える一方、岡田以蔵に代表される下っ端を使い捨てる冷徹さ、こちらを強く強調させる役柄。武市瑞山の扱いとしてはちょっと? といった感じなのですが、佐藤慶が演ずるのだからこれくらいはやってもらえなければ、と言う気分にさせるのはさすが。「志土原の言うことは人間としては正しいのだろうが、今の我々にとって一番邪魔なのが彼のような人間なのだろう*3」と短銃の空撃ちをしながら結局近衛の暗殺を示唆するシーンなど真骨頂です。史実に造詣の深い人は判ると思いますけど、この作中で登場した主要人物、作中で死んでしまう人、作中は生き延びる人、それらひっくるめて殆どが明治維新まで生き残ることが出来ない。あれだけのムチャやってあれだけの血を流し、結果誰も生きていないという事実を反映する脚本の「裏読み」はイヤでもせずにはおれない。
 印象深いシーン*4も一つ、「志土原を見る少女の表情」。冒頭に犯した暗殺劇で、事を成した後、押し入れの襖を開けた志土原はそこで家族の殺される一部始終を見てしまった年端のいかない少女が狂気に変ずる視線をマトモに受け、彼女を殺さずにその場を離れ・・・、この表情が物凄くコワイ。以降その表情は時折志土原の前に現れ彼の意志を鈍らせる原因の一つとなるのだが、それにしてもあのエクソシストのような顔、よくぞ子役に出させた! という感じ。志土原ならずとも夢に出そう*5
 近衛が演ずる志土原の不器用さは、昔の日本人好みと言えないことはないけど、ストイックさがただの朴念仁に裏返るシーンのダメっぷりとかその最期の描写の情けなさに、なんと言うか、敗者の側にも「散る美」を惜しむ偽りの日本人らしさを期待する観客にとってとてもじゃないが共感できないキャラクターだと思う。ありきたりの表現で大変恐縮なのだが「当時と違い、目に見える格差、勝者敗者の違いを煽り立てることが認められる現代」においてはかなり共感する(せざるを得ない)キャラなのかもしれない。そんなんを主人公に据えている辺りが、冒頭に述べた「東映さすが」の理由。作中で彼に思いを寄せる二人の女性、芸者の辰路(千原しのぶ)と商家の奥さん・おえん(木村俊恵)、志士なら普通芸者だろ? とならないところにも強い思い入れも感じる。敗者にはありきたりな色恋は許されない。だからこそ、もはや互いに何も残っていない志土原とおえんの結ばれる(同時に志土原が持ち得ていた志士としての矜持の全てが崩壊する)、なんつうか、野良犬同士が傷舐め合ってるような情景を想像するとちょっと涙。そのお陰で、一番最後のシーン、死ぬほど気怠い京の暑気を団扇一枚でしのぎながら敗者の帰りを待つ木村俊恵の姿が物凄く色っぽくて・・・。好みで言えば木村俊恵より千原しのぶなんですけどねぇ。

*1:実は少し前に同じような構図のシーンが伏線として描かれている。まずこのシーンから目を奪われる

*2:作中では重要なエピソードになるため当たり前なのだが

*3:ちゃんと佐藤慶の声で脳内再生してね!

*4:と言うか顔!

*5:けどその少女が志土原と再会して、「フラッシュバックが起きたのかその表情のまま片手に包丁を持ってじりじり歩いてくる」シーンはやり過ぎで大笑い