なんと言おうと所詮人が造ったモノだ。脱出できないわけはない、とタカをくくったら死ぬかもしれない、飯田線小和田駅

 
 これは何の映画のセリフだったけ?
 「これでさすがにオレの名も人殺しとして売れるようになっただろ?」
 「いやまだだ。あいつがいる。」
 「誰だそいつは?」
 「マンソンだ」
 「そうか、キングなら仕方がないな」(注、うる覚え)

 と言うワケで冒頭紹介の写真の通り日本でこれ程著しく不明瞭な目的はないんじゃないか?と思われる切符の行き先、これから向かう先の小和田駅はこんな誰でもタダで見られるブログどころかちゃんと金払って購入する専門書も日本で一、二を争う太鼓判を押してくれている秘境駅です。つまりこれから私は「飯田線内のチャールズ・マンソン」クラスの駅に向かうというワケです。

 今回の目的も至極単純、「小和田駅から列車を使わずに次の駅まで行ってみる」というモノです。そもそも先の田本駅といいなんでこんな計画を立てて実行しようと思ったかというと、どこの局かは忘れましたが、都会の鉄道を途中下車して一駅分を歩いて紹介する内容で、最後に「あなたもたまには途中下車してみませんか?」という決めゼリフで終わっている番組、一方みんなが大好きなウィキペディア日本語版によると飯田線は「平均駅間距離は約2.1kmと大都市の市街地路線並みであり」との事で、ならば途中下車してみようじゃないかということがそもそもだったと思う。ざまぁ見ろ。

 田本駅から小和田まで、飯田線天竜川に沿って時にはその谷底近くまでゆっくりゆっくりと進みますが所要時間は30分ほど、大した距離ではありません。問題は電車そのものが上手くつかまえることが出来るかということに尽きます。

 正真正銘小和田駅。私は遂にチャールズ・マンソンへ降り立ちました。冗談抜きで本当に感動で足が震えました。そして

 電車が行った後、改めて事態の深刻さに足が震えました。この時間(午前11時頃)南側の山を背に、北側の川(佐久間ダムダム湖)に向かって立地する小和田駅構内はお日様がまったく当たらず、山風も強く吹き付け冬のような体感温度、凍えるような寒さはこれから待ち受ける困難に対しての警告のようでもあり

 「三県県境界駅」、言い換えれば「何かあっても三県の県境だからどこの県も責任をなすりつけ合ってうやむやになるよ」との警告でもあります、ここはまだ駅構内。

 この日は休日ということもあり、当初私の予想では「秘境駅ブームの折り、きっと秘境駅に似つかわしくないほどの降客がいるに違いない」ハズでしたが、実際降りたのは私を会わせて4人、秘境の雰囲気を損ねないことは大いに安堵はしたのですがその一方、テツ由来のブームなど所詮こんなモンと話題の切れっ端をまるでこの世の終わりの如く煽るマスコミへの不信感はここでも増大するのでした。
 ところで駅構内での「禁煙」の表示、非喫煙者の私にとって禁煙であることに何ら文句はないのだが、この場所を禁煙とする理由に付いて考えると巷の駅と同様「健康増進法」に依ると考えるのが自然だが、アレの条文は「多数の者が利用する施設を管理する者は、これらを利用する者について、受動喫煙(室内又はこれに準ずる環境において、他人のたばこの煙を吸わされることをいう。)を防止するために必要な措置を講ずるように努めなければならない」ということなので同法によりこの場所を禁煙とするにはココが「多数の者が利用する」「施設」であることが条件となり、果たしてこの条件に適合するか甚だ疑問であるので、小和田駅構内でしっかり禁煙が徹底するよう誰か根拠となる法律をを教えて欲しい所である。もう一度言うが秘境駅が間違っても「多くの者が利用する」ハズはない・・・。
 
 駅には昔ながらの駅舎が残ります。有人時代の設備はあらかた取っ払われておりますが、この駅舎の形は今となってはひどくオシャレ。

 駅舎に付いた昔からの駅名表示。これもオシャレ。

 駅舎内からホーム側。昔は対面式の2面ホームで構内踏切を渡って対面のホームへ渡っていたとのこと。今はその土台のみが名残、進入止めの柵が設けられています。

 その反対側。頭上の謎のヘッドマークは嘗て小和田駅伝説の1ページを織りなした証人です。「小和田発ラブストーリー」の煽りも泣かせますがイラストとして描かれた小和田駅のイメージも泣かせてくれます。

 駅舎内、改札口のすぐ脇にある事務机には駅ノートが置かれており、今年だけで結構な冊数を突破しており、やはり密かなブームとなっていることは否めません。なんか気の利いた文言を残せるようにと広辞苑まで置いてあり、その他記念物、壁には各種お知らせ、今でも駅は情報の場であることを教えてくれます。

 お知らせの中でもちょっと刺激の強い掲示物。ココには書かれていませんが自殺とのこと。秘境駅に来て命を絶つ・・・その手があったか!
 
 公共の場なのですから万一の際の避難場所はしっかりと告示。避難場所へのアクセスは田本駅よりずっと容易ですが、そもそもこの場所から徒歩一分という時点で救助の来る見込みもその先外界へ脱出する目処もまったく立たないという意味で、「避難」にはなっても「安全の確保」にはなっていない気がする。大体駅社員なんてどこ探してもいねぇし。

 駅舎内、その他多くの掲示物に展示物。天井近くの額に飾られているのは嘗てここで行われた結婚式の様子を写した写真です。それにしてもこの場所に貼られたJR東海掲示、場所が場所だけに微妙に説得力に欠ける。

 在りし日の小和田駅の姿も飾られていました。今は桜の木は切られてしまっているようです。貴重。ちなみに電話はありません。

 駅舎内にある周辺地図。全くもってどこがどうなのか判りませんが、「天竜川の対岸には行けない」「ここはとりあえず静岡県(現在は政令指定都市内です)」「冬は来るべき場所でない」ということが辛うじて判ります。確かに用途に耐えられるか微妙ではありますが、この手作り感の温かさは旅人へ勇気を与えます。

 そんな勇気に水を差す出しっ放しの水。わざわざ断り書きを入れて止めるの拒否。理由は「詰まり防止」ということです。飲めません。

 コチラも同様に出しっぱなし、トイレ隣の水道。やはり同様に「止めてはイケナイ」旨の貼り紙アリ。その文字が何故かダイイングメッセージのように乱れております。書いてる途中に最終列車が来たので慌てて貼り付けていったのでしょうか? それにしても周囲何もないはずの駅へ何処から水道を引いているのでしょうか? 謎と興味は尽きません。

 先程の水道水が飲料として保証しないことと引き替えに駅から少し離れたところに飲料の自販機がありますが。

 当然の如く使用できない。「駅近くの壊れているけど撤去されない自販機」として一部の人には有名な絵です。よく(?)議論として「撤去する費用はないのか?」「秘境駅ブームの今なら復活の余地はあるんじゃないか?」等の書き込みがそこここで見られますが、私は鉄道でしか近寄る手段のないハズのこの場所にどうやってこの自販機を持ち込んだのかという疑問に触れた文章がないことが一番不思議です。飯田線はこういった秘境駅近くに住む人々への物資補給のため、時折列車最後尾の一部を荷物室として仕切を設けて郵便やらを乗せていることがあるのですが、この自販機もそのようにして持ってきたのでしょうか? ついでにちょっと調べますと、この自販機、嘗て某ブームによりこの駅が170年に一度の賑わいを見せたときに便乗して設けられた説が強いです。

 その某ブームに乗じて設置された暴挙記念物、人呼んで「愛のあづま屋」中には

 このように「愛」の一文字を染め抜いた二人架けのベンチが鎮座します。う〜ん、直江山城守! とは全く関係ありません。全盛期(?)にはここのイスに座ると天井にあるスピーカーから音楽が流れるようになっていたそうです。それにしても見事な「愛」の字。立派に施設が使える内に次の便乗をすべく隣に直江兼続とかの顔ハメ看板とか置いて「鉄でも歴でもばっちこ〜い」みたいな便乗宣伝かませば少しは釣れると思うのに。ちなみに直江兼続小和田駅とはなんの関係もありません。*1

 本当は小和田駅を徒歩で脱出する話をするはずだったんですが、小和田駅そのものがあまりにも楽しくてムダに冗長になってしまったので今回はこれで終わり。続きます。

*1: ( 長いから読まんでエエよ)ありませんが直江兼続が直江姓を名乗る前に名乗っていた「樋口」姓、そのそもそもの系譜を辿れば平安時代末期から鎌倉時代前期に掛けての日本国中を巻き込んでの全国的な内乱状態、治承・寿永の乱、所謂源平の争乱における源氏方の一勢力、通称木曾殿こと源義仲に仕えた義仲四天王の一人で筆頭の樋口兼光、即ち中原兼遠の長男にて今井兼平巴御前の同胞を祖先とすると伝わりそのその生地信濃国木曽谷はこの地より山を越えた向こうに当たり遠く北方越後国よりは近いとはいえやっぱり縁もゆかりもないなぁ。それにしても鉄で歴で理屈っぽくてウンチクだと話がムダに長くてホント最悪!