『女医の愛欲日記』

 有能な医者として、また大病院の経営者として「九州の女王」の異名を取る女医の美穂(白石奈緒美)は大学時代の恩師の教えを受けるため定期的に京都を訪れていた。そこではいつも同窓の川崎(菅貫太郎)と一緒に講義を受けるのだが、会う度に川崎は美穂を口説く。対して美穂は川崎の誘いに乗ることは一度もない。なぜなら毎回彼女が京都に来るのはもう一つの目的があったからなのだ・・・。

 何がスゴイかってニュープリント版まで用意してこの作品を今上映特集の目玉に据えたラピュタ阿佐ヶ谷の意図が一番スゴイ。とりあえず、監督の意図としてシュールをてらった*1のだろうが、各シーンごと「色々と独特な演出やセリフ回し、カメラワーク*2」等何らかの意欲的な制作の意図が伝わる、にもかかわらず、それらの演出は映画全体を形作る上でなんら整合性を造らず、それどころか各シーンそれぞれでおいてですらその演出が徹底されてないので、意図とかそう言うこと以前に「今のは何?」だけでいつの間にかシーンが、更には映画が終わってしまっている、といった感じ。「シュールを狙ったのならそれでイイじゃないか!コマ間に込められた監督の思いの深淵を探れ!」という感覚なのでは決してない。なんつうか、「制作者側が各シーンの撮影に当たって今の今まで行っていた演出にシーンが終わる頃には飽きてしまって面倒くさいからそのままつなげた」ような。こーいう映画と対峙する鑑賞者をプロレスの試合に例えるのなら「最初から最後まで延々と投げっ放し式ジャーマンスープレックス、エンドレスでフォールなし」とでも言いましょうか。プロレスよく知りませんのでこの表現が適切かどうかは解りませんが。上映後の脱力感に思わず映画館を出たその足で阿佐ヶ谷に開店したばかりのバーガーキングに寄り「Windows 7 Whapper」を頼んでしまうくらい動揺したのは確か。終演後、観客の一部にかなり不穏な動向が見られたのも確か。終わってみて印象に残っているのは白石奈緒美と菅貫太郎佐藤慶の顔のアップだからそれはそれではかなり印象に残る作品だなぁ。このメンツ揃えて三人同床のカラミがなかったのが残念だとは思ったけど何故かなとか恐らく理由そのものがないんだろう。あ、けど「M」と「S」を行き来する佐藤慶は良かったな。

*1:「狙った」のではない「衒った」のだ

*2:あるシーンでは途中までカメラの角度が斜めとか、「ヤギ」のお話とか