いい加減諦めません? 小和田駅徒歩行 その4 

 〜前回までのあらすじ〜
 小和田駅近く、殆どワイヤーのみさながら白骨死体の如き高瀬橋は新政権に予算をぶん盗られまくったあげく本当に予算がなくなって保守もままならなくなった日本の道路の将来を暗示する・・・国をオモチャにしやがって、いい加減にしろ! 民主党*1

 再び「高瀬橋」と「塩沢集落40分」との分かれ道に戻ります。初めから判ってはいたのですが、正規のルート(と言うか「比較的マトモに行けるルート」)は「塩沢集落」方面、

 ここからちょっと覚悟を決めた方がよい坂道に入ります。

 すぐに現れるのはかの有名な「M氏邸」。正真正銘、小和田駅を生活のライフラインの一部として活用している(せざるを得ない)唯一のお家です。

 冗談ではなく人が生活している場所のため、むやみやたらと撮影することは憚られるためこの辺にしておきます。

 現役の人家があったからと言って道が劇的に改善される、と言うことは全くありません。人家近くらしい、と言うことはこのような偶像さんがきちんと崇められている形で現れるくらいで

 基本的にはこのような道。

さらに歩みを進めて登場、道なき道を渡す「桟道」

 一枚下は地獄だぜ〜♪ と言う程ではありませんが金網製の床を歩いていると時々空を飛んでいるような錯覚に陥ります。金網製の床も含めて桟道は今のところ頑丈でしばらくの所落ちる心配はなさそうです。

 そのまま桟道を歩くと今度は渓谷を越える赤い吊り橋が登場。と言うか、ついさっきまで人が住んでいる場所だったのにいきなり渓谷になっているのはどゆことだ? 

と言っても事実なのだから仕方がありません。

 渓谷近くをへばり付くように歩いていたのはほんの僅か間だけです。赤い吊り橋を越えると再び急坂を登る山道に。ちなみに、この時点で時刻12:30。以前の記事で述べましたが当初立てた予定が大嵐駅16:13。飯田線の本数からこれは絶対に譲れない条件。にもかかわらずあとどの位の時間で少なくともこの山道を踏破できるのか全く判らず。場合によっては山道踏破後、大嵐駅へは向かわずそのまま引き返して小和田駅から飯田線へ、つまり「小和田駅を歩いて脱出」を断念することも考えなければいけない、結構切羽詰まった状態に。そのため以後、余裕が無くなりその影響で写真が減ります。

 山道は結構急。大体が簡易舗装で固められており、傾斜の急な場所は階段状になっており、時々謎の赤い網状の覆いで保護(降雪、凍結時の滑落防止?)、一応は整備されておりますが、基本的に平地に慣れた関東人にとっては平均以上にキツイ勾配と九十九折れの繰り返し、今まで秘密にしていましたが背中、肩にはカメラ、荷物等で普段絶対背負わないくらいの重量の重し*2があるので、正直キツイ。体そのものに対する負荷は、「時間に追われていない」「大した荷物を持っていない」分、以前挑戦した北海道の某(お笑い)神社*3よりキツイと思う。

 時々このように、「明らかに分かれ道」が登場するも、前述の理由によりその先へ行くことは断念。分かれ道が登場した場合は「明らかに正規のルート」側を選ぶ遺憾を噛みしめながらこの先の道を進む無念。

 上りつ下りつ、時には蛇行する道に沿って、段々視線は足元ばかり向いていく中、

 途中に久しぶりに建物

 何だと思ったら外れた扉に「W.C」の文字。登山客、もとい乗客の利便を考えての心づくし。ここでウンコはしたくないなぁ。

 続いて登場するのは久々の悪路。信じられないでしょうがこの「小和田駅へ続く駅前通り」、先に歩いた田本駅*4と比べると落石、倒木の類は殆どなく、傾斜を除けば大変歩きやすい道。

 足元がこうだと思わず上を見上げて確認するのが今回の旅で学んだ大事なこと。その教訓に従って上を見る。すると傾斜に根を下ろす杉の木の合間から白いガードレールの姿が・・・。

 杉林を横切る一直線のガードレールにほんの僅かの隙間。どうやらあれが小和田駅の脱出路(入り口)のようです。

 ちなみに後ろを向くとこう。田本駅でもそうでしたが、飯田線沿線秘境駅では何故か入り口(出口)間際の傾斜が一番キツイ。

 「塩沢集落→」の看板から随分長い道のりを歩いた気がします。間違いなくここはあの看板が示した目的地、塩沢集落、実は現在政令指定都市政令市の区としては日本で最も人口密度の低い天竜区の一部です。

 改めて見てみましょう。これが有名な「小和田駅方面入り口」。ネタでも冗談でも何でもありません。

 道路との位置関係はこんな感じです。中央の道路が「林道天竜川線」、現在の所の目印は右側の地域表示板、のみ・・・。ここまでの道のりを書くとすると「水窪駅から林道天竜川線を車で1時間、塩沢集落下へ入ったらすぐにガードレールの途切れがありますのでそこです。右側の地域掲示板が目印です」

 塩沢集落はこの道路より上方一帯に広がっています。計画ではこのまま林道天竜川線に沿ってしばらく南下、途中大津峠手前で分岐する林道西山線から大嵐駅へ向かう、ハズなのですが。現在時刻13:00。残り時間は3時間という所です。ここから大嵐駅までの距離をこの残り時間で踏破することはプロでもない限り殆ど無理と思われます。ここはやはり元来た道を戻って小和田へ帰るのが無難でしょうか?

 強行! なぜなら私はこのためにここに来たのです。ちなみにここまで昼食を摂る時間はおろかマトモに休憩する時間さえ全く無し。いろんな意味でムチャでヤバイ、その自覚は十分あるのですが。たぶん厭世感が強いのでこの際どうでも良い事にしておく。

 林道とは言え天竜川線は静岡・愛知・長野に点在する集落を結ぶ要衝、きちんと舗装されております。ただ、さすがに走行する車が多いというわけではありませんので、時折落石があったり、このように落ち葉が路肩い山盛りになったまま誰も処分しなかったりとやはり山中の林道の雰囲気はそこかしこに見えます。こんな場所で万一低血糖で倒れてたとしてもその日のうちに発見されるかどうか怪しいと言わざるを得ません。日陰と日向との寒暖差もあるので汗をかいた後乾かずにそのまま冷えたりと心臓にも悪そうです。

 そんな困難な状況の中、木々の合間遙かに望む天竜川始め山河の眺めはさすがの景色、足を止める暇がないのが残念です。

 小和田駅入り口より約30分。幾つか目の橋の名前「小和田橋」、恐らくこの橋の遙か下方に小和田駅もしくは小和田の集落があるのでしょうか? いずれにせよ「30分歩いているのにまだ小和田駅のテリトリーから脱出できていない」と言う厳然とした事実に愕然として歩行を速める触媒にしかなりませんが。

 ここから極端に写真はなくなります。似たような景色が続くと言うこともありますが、やはり一番の理由は歩くことに必死で下ばっかり向いていたと言うことが大きいでしょう。いつまで経っても通過点の「西山林道分岐点」が見えず、不安で仕方なく、とりあえず電車に乗り遅れて帰れなかった場合明日職場になんて言い訳しようとかそんなことばっかり考えていました。
 
 時刻14:16。林道に入って初めての偶像。庚申さんでしょうか? 手は合わせましたが詳しくは調べてません。撮影もいい加減です。

 その後すぐに中間地点と比していた「西川林道分岐点」に。ほーっと一安心。これは本気で先程手を合わせた加護を思いました。

 行き先表示の先、何処に連れて行かれるのかよく解りませんが

 私の進む方向は林道西山線方向で間違いありません。間違いないのですがこの西山線、天竜川線に比べても通行者が少ないらしく途中物凄い大きさの落石や倒木がゴロゴロしていて、事前情報によるとここから大嵐までほぼ下り道とのことでそんなに困難な道ではないハズなのですが、落石の多さに不安はまだまだ尽きそうにありません。

 落石、落ち葉に混じって足元にはおびただしい数のバッタやイナゴがピョンピョン跳ねていて、人が通ると一斉に路肩の方へ飛んで逃げていきます。残り時間半分の時点で目的の約半分に達することが出来た安堵感からこの辺り少し撮影に気を向ける余裕が出来ました。これが後に大きな間違いであった事に気付くのですが。

陽の向きの関係上、西山林道に入ってからは殆ど日陰の中を歩きます。 

 日向は日向でこんな崖崩れがあったりと、やっぱり人のいない道、そう簡単には安心できません。日向は全く関係ないですが

 天竜川の本流はこの西山線の前半において位置的に山陰に当たってしまうため殆ど見ることができず、時たまその支流の小川や沢が見える程度。その支流も道からは遙か下の方に見えていて、この沢の写真はまだ歩行に根拠の無い余裕があったので撮ったモノです。後で判ったのですが、前の記事で「道らしきモノが無くて行くのを断念」した小和田駅脇の道(その2参照*5 )はこの沢のまさにこの場所に繋がっているとのコト。信じられません。

 そんな余裕をコいていたおかげで、ここから果たして時間通り到着するのか再び途方もない不安に襲われるようになる。途中で幾つか実際に人が住んでいそうな集落とか(畑に置いてあったラジオを大音響で流してた)廃屋とか、多少の変化に富む景色が現れたりしていたのですが写真には撮っていません。事左様に強い不安に襲われていたわけで。

 襲われると言えばここら辺、行政公認のクマ出没多発地帯。まあ、「熊注意」は北海道でも良くあったことだし今回は事前に情報も得ていたことで対処法も頭に入れてきていたことだしそのこと自体はそんなに大したことではないのですが、「時間的に余裕がない」と言うことはいろんな意味で致命的なことで、例えば熊注意地帯で対処のために「またキリンジをかけた」「『もしもの時は』が流れた」「森でく〜まに出会ったの〜よなんて〜♪ とか歌詞が流れてうぎゃ〜」とかそんなネタを考えていたけど時間に余裕がないお陰で全てお流れ、ああクヤシイ。

 こんなバカなことを言っていますが、行程殆ど休憩ナシ、当然昼食も摂ること出来ず、さすがにこれはイカンと歩きながらでも何か口にと思って口にしたのがコレ

 0系は私の命の恩人です・・・。けど味はクモハ52004↓の方が好み。ダメじゃん。

 山の裾をなぞるように走る林道西山線、幾つか人がいるのかいないのか判らないような集落を越えて、唐突に目の前に大きい川。

 普通に考えれば「天竜川」と判りそうなモノなのですが、この頃は疲労等重なって既に距離感全く無く、目の前に家が現れても全く「目的地に近い」とか考える余裕が無い、周囲に対しての猜疑心の固まりのまま歩いていたこともあり、目の前の川が「天竜川」=「目的地近し」とは全く考えることが出来ず。更に山側にしっかりと飯田線の鉄橋まで現れて間違いなく大嵐駅近くまで来ていることは明らかだったんですが、「どうせ廃線跡だろう」とか物凄く疑って安心もせず写真も撮らず。疑りの根拠が「現役の路線なのにいつまで経っても列車が通らない、やはり廃線跡だ」って飯田線なんだから当たり前だ。もうこの頃になると山陰は寒くて心身共に冷えていたのです。

 あの看板の登場で初めて安堵。正真正銘まもなく大嵐。

 「大嵐峡」。観光客のし。北海道ではあちこち、国定公園に立てられたこーいう看板が雪の重さにマケて倒れている姿をよく見かけました。

 この看板も手入れもされず、やがてそのような姿になるのでしょうか?

 もう安心、目の目に見えるのは大嵐駅前のシンボル、鷹巣橋。

 改めて見ましょう、ここから先が今まで歩いた林道西山線です、無事通してくれてありがとうございました。記事では殆ど触れませんでしたが道中、踏めばまずパンクは堅いであろう落石がゴロゴロしている上に終始1.5車線の道路で避けるにままならず、自動車での走破はせず是非徒歩で!

 鷹巣橋。大嵐駅で降りた乗客の殆どは

 対岸の愛知県の利用者です

 後ろを向くとこう。名実共に県境の駅なのです。

 「がけ崩れ危険個所 大嵐駅」名は体を表す・・・崖に埋まった家のイラストがカワイイとか不謹慎なこと言ってはいけません。

 大嵐駅は例に漏れず無人駅。駅舎はとうの昔に撤去されておりますが、現在待合いを兼ねた「みんなの休む処」が建てられております。建設したのは対岸の旧富山村(現豊根村)ということでつまりここは豊根村の領事館と言ったところ、建物内の掲示も殆どが豊根村の名前で掲示されております。地域の観光情報の他に、何故か京大鉄道模型研究会がNゲージで再現した大嵐駅の写真が貼られています。陽が傾きかけているお陰で建物内一杯が弱々しい陽の光に満ちて、そんな中で列車待ちの乗客か、占いに興じる男女二人。不思議な雰囲気です。

 なんだかんだで20分ほど列車待ちの余裕が出来たので、ちょっと大嵐駅周辺を見てみることにしてみます。目の前を走るのが有名な廃道、県道1号線の一部です(先の写真に「通行不能」と書いてあるアレです)。

 この道路、佐久間ダム建設に当たりルートの変更を行った飯田線の旧ルートの一部をそのまま利用して造られた道路だそうです。道路脇で朽ちていたこの建造物は当時の旧大嵐駅のホーム跡でしょう。

 その先に一つ短めのトンネル、そこを抜けるとすぐに今度は長めのトンネル。旧「夏焼隧道」。今でも利用され貫通しているはずですが、こちら側の入り口から向こう側の入り口は全く見えません。はっきり言って不気味です。

 この看板は県道になってから付けられたモノでしょうか? あまりに暗闇を見続けたせいか目が充血していますね。ご苦労様。

 鷹巣橋から見るとあちらの方向が夏焼隧道の方面なのですが、ここからは何も見えません。噂によると夏焼隧道を出てすぐに通行止めの柵が登場してその先は完全にえらいこっちゃな状態なのだそうです。こんな事を聞いたら次回行かざるを得ないじゃありませんか! なんて事を・・・

 夏焼隧道だけでなく小和田駅下車路で途中にあった分かれ道の先の確認も今回出来ず、また距離的に同程度で達せられるはずの小和田〜中井侍ルートの踏破も「しなければいけない」ので、また時をおいてこの場所には来なければイケナイ事にいつの間にかなっているようです。今度来るときはも少し余裕を持っていきましょう。もちろん飯田線で。

 結局大嵐駅ホームに入ったのは16:10頃。コレで判ったのは自分はどんなに時間に余裕を持って行動しても、目的地についても、結局はギリギリまでなんかやってしまうということなんだと。そんなに向こう見ずな人生歩んでるつもりはないのですがねぇ。約3分後ホームに到着した飯田線天竜峡行き普通列車に乗り、大嵐駅を出発、約5時間かけて脱出した小和田駅へ数分で到着、ここで数人の乗客を乗せて更に北へ向かいました。

 え? 埼玉に帰るのだから豊橋方面南行ではないのかと? なんて事を言うのです! 別のルートで帰ることが出来るのに同じルートで帰るなんてはずかしいことが出来るワケないでしょうが! と言うワケでそのまま岡谷まで、前日から合わせて数日掛かりで飯田線を乗りツブしてしまいました、うひひ。結局何が目的なのか判りませんでしたとさ。 了

*1:→その1http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20091112#p1 その2http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20091114#p2 その3http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20091114#p2 

*2:まあ、普通に登山やる人にとってはたいしたことないのでしょうが、今私は「登山」じゃなくて「途中下車」の途中であるので悪しからず

*3:http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20090922#p1

*4:http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20091108#p1

*5:http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20091114#p2