その百二十五 鉾田市鉾田 『二十三夜堂』


 何故鉾田にいるのかは忘れた。場所を調べてみると、鉾田の市街地には違いないが、既に無くなっている旧鹿島鉄道旧鉾田駅から少し離れた位置の住宅地。ますます理由がわからない。この日は確かお日様のよく当たるポカポカ陽気の日だった。日当たりの良いポカポカ陽気の日だったら、お前は見ず知らずの街中をうろつくのかと言われれば返答に窮してしまう。
 比較的、旧駅前通りの姿を留める旧鉾田駅から市役所(少し前まで鉾田町役場)方面への道を二つ以上裏に入る。進級の民家が入り交じり時々開いているのか閉まっているのか判らない工場。明らかに操業していると判る工場の裏に古びた、と言うか適当に手入れしているがたぶん完璧な手入れではないので毎日徹底して手入れすればもっとイケているだろうという風のお堂が建つ。つまりこの「人為的な古びた加減」の荒れ具合、しっかり手入れすすれば何とかなるのに。ではどの辺りが「適当な手入れ」感と言うとお堂の中に垂らされた幕の柄が可愛い。つまり「愛されている」。お堂の隣の倉庫は蔦で覆われているがお堂とは直接は関係ない。
 参拝(取材とも言う)中何度かお堂含めたこの町内をぐるぐると回っているらしい孫連れ自転車乗りのおじいがお堂の前を通っていく。もしかしたらひ孫かも知れない。お堂の幕のセンスは子供のいる家のモノであろうか? お堂の周囲に依代の由来を示す文字はないため扉を開けて中を覗く。件の幕の向こう、薄闇に包まれて「二十三夜」の文字を穿かれた石碑が三体。二十三夜塔のためだけの立派なお堂。今でも二十三夜待ちの風習が周囲に残るのか? お堂の前に摘まれたばかりの花が添えられており、お堂の脇には現在の二十三夜講の記念だろうか? 文字の書かれた(擦れて読めない)「Y」字型の木札がいくつか並ぶ。浅学にしてこの型式の木札をなんと称するか知らない。
 お堂の前面、中寄りでなく端の方に小さな箱が一つ置かれているのに気付く。表面何の模様も描かれていない紙製の箱。お供え・奉納の類にしてはその願主の名前は見あたらない。ただきちんと角をそろえて置かれているので故意に置かれている事は一目でわかる。当然気になる。気になるから開ける、止せばよいのに。
 箱の中には木製のフクロウの置物が二体、箱にぴったりと隙間無く収まる。置物には変わったところ無く、ごく普通にそこらに売っている類のモノ。何の変哲もないが、箱を開けてその姿が目に入った瞬間、「しまった・・・」と激しく後悔。理由も意味もわからないが、恐らくこれは開けてはいけなかったモノである。何故だか判らないがそう思った時、先に発作的に訪れた後悔は段々と恐怖に変わる。もう取り返しが付かないのだと。理由も意味もわからないが。
 箱の蓋を閉めて後、早々に立ち去ろうとするお堂の前を先程からのお孫連れが再度通り過ぎる。相変わらず日当たりは良く比して辺りはのどかだった。