『女ひとり大地を行く』

 昭和初めに起こった未曾有の不景気と農村の凶作により農家として食えなくなった喜作(宇野重吉)は家族を養うため北海道の炭鉱に働きに出るが、途中悪質な仲買人に騙されタコ部屋労働に従事させられた上に坑内で起きたガス爆発に巻き込まれて消息がわからなくなる。連絡のない夫を捜し、二人の子を連れて炭坑街まで来た喜作の妻・サヨ(山田五十鈴)はそこで事のあらましを聞く。そこで知り合い自身事故で夫を失ったばかりの抗夫の妻、お花(北林谷栄)に勧められて炭坑街で働く事に。初めは飯炊きにと勧められたサヨだが炭鉱労働者として働く事を望む。坑内の恐ろしさをよく知るサヨは、将来二人の子供が炭坑で働く事がないよう学問を付けさせるため少しでも実入りの良い仕事にと女がてら自ら坑内で働く事を選んだのだった。

 映画の冒頭で「日本中の炭鉱労働者から33円ずつ集めて作った」旨書かれた炭労出資のガチプロパガンダ映画である。 33円ずつ集めたらいくらぐらいになるのだろうか? 宇野重吉 山田五十鈴始め一流どころの俳優も多数出演している事だしこれはプロパガンダを達成する上でのホラだろと思ってしまうほど左翼に対して偏見の強い私だが、映画そのモノは物凄く面白い! 主人公である山田美鈴の役柄は、貧しさの中で人生を翻弄されながらも夫の残した子と家庭を体を張って守っていくお母さん。戦前戦中戦後と時を経ても苦労が殆ど報われないという殆どの人が味わう悲哀を年月に応じて演じて分ける演技は見事・・・と言いたいところですが、初めっから所帯やつれしている上に比較的若くして亡くなってしまうのでそんなに多世代を演じている印象はありませんが、終始一貫して苦労し通しの優しい悲哀に時にはキャップランプまで被ってツルハシ、ドリルを手に坑内へ潜る「抗婦」の姿と両者のギャップは面白いし、後者の姿に全然力強さを感じないところに逆にリアリティーを表現しているようでヨイ。その芯に健気さに伝える母親の強さは日本人の好むところなのだろう。
 一方で彼女の恩人役で自身も炭鉱事故で夫を失った設定の隣人役の北林谷栄もほぼ同様の年月出演するのに、この人の場合役相応に老けていく様が役者としてのこの人の年齢不詳振りと演技の幅が堪能できて楽しい。夫が事故で亡くなったからと言って同じ炭鉱長屋でやもめになったばかりの抗夫(花沢徳衛)の元へ押しかけ女房になったりと山田五十鈴の役とは正反対を演ずるこの人の存在も炭鉱の女の豪快な強さを体現してこれも当時の炭鉱街気質の表現を狙ったモノだろうか。この人に始終尻に敷かれっぱなしの花澤徳衛と、扱いが別格に凛々しい宇野重吉との対比も楽しい。恐らく多くの母子家庭の「理想的」母親像を山田五十鈴に投影しているように、多くの父子家庭の「情けない」父親像を花澤徳衛に投影していて、その意味で凛々しくて坑内事故も生き延びて樺太満州を流転した挙げ句家族の元の戻ってくる義経チンギス・ハーンの如き巨大なスケールを持つお父さんを演ずる宇野重吉に惚れ惚れしても実際に共感するのは多く花沢徳衛の方にだろう。当然のことながらそんな花沢徳衛山田五十鈴とがくっつく設定が浮かぶはずがない。夫不在でも健気で強し山田五十鈴の心を奪うのは・・・官憲と会社に思想犯としてマークされる左翼主義者(沼崎勲)*1に決まっておろうが! 
 自身の病気に長男、喜一(織本順吉)のグレっぷり*2と忠告聞かずに理想へ突っ走る次男、喜代二(内藤武敏)と苦労の絶えない山田五十鈴を尻目に、炭鉱の街は団結だ組合だ交渉だストだと大騒ぎ。実際に当時、日本の復興の下支えを担いながら受ける恩恵の少なかった炭鉱労働者たちの現実とを元に繰り広げられる激闘や暗躍、それら社会の実情と労使間闘争の大まかな流れは事実を元にしているのであろうが、作中ではあまりにドラマチックに表現しようとするあまりのエピソードが今観ると物凄いフライング感に溢れていてぶっ飛ぶ。喜代二の恋人孝子(岸旗江)が父親を告発する場面*3で思わず「文革かよ!」とツッコミそうに*4
 この例は「今観れば」という限定付きでの解釈が出来るシーンなので、観る人によって「トンデモ」とは映らないかもしれないがもう一つ、どう見ても「トンデモ」にしか見えない極めつけのオドロキのシーンがもう一つ。苦労に苦労の末、病の床についた山田五十鈴お母さんの元に返ってきた宇野重吉お父さん始め家族全員が炭鉱長屋で再会。安堵のあまりお母さんはお父さんと息子達に後を託して亡くなってしまう。諸人感涙に噎ぶ場面で「お届け物です」・・・? 何だと思ったら「中国の炭鉱から送られてきた旗(!)(!)(!)*5*6 それ、なんだんねん! そしてその後、山田美鈴の亡骸は旗に包まれて送られていく・・・ うぎゃ〜! なんじゃこら!!! サヨの死を演じる山田五十鈴と周囲の演技に感動していた気持ち一瞬でぶっ飛ぶ。
 このようなまだ日本の該存左翼が中共とケンカする以前だから出来る微笑ましいエピソード始め、興味深く珍しい場面*7が満載の映画を、土台となっている産業の崩壊に殉じて跡形もなく霧散してしまった炭労という組織が金主になって作らせた、つまり「世の中金持ってる内にやりたい事やっちまったモン勝ち」という事実に社保庁とか堀江貴文とか大神源太とかの名前が浮かんで感心する。つまり、これから衰亡確定の日本国において勝ち逃げは許さんと。そんな奴らは片っ端からぶっ殺してやらぁ! と、見事にプロパガンダされました*8恐るべし。終映後、何故か周囲の人達はひとしきり拍手しておりましたが、とりあえず私としては作中感動に噎び涙ちょちょ切れた分の感涙を返して欲しい気持ちでいっぱいで呆然でした。

*1:左翼と言うよりは反戦主義者としての性格が強いのだけれど

*2:長男、「炭鉱労働嫌って警察予備隊に入隊、挙げ句脱走してヒモになってる」が「後に改心して家族と和解して母を看送る」と言う設定が左翼プロパガンダの登場人物っぽくてヨイ。どーでもいいけどこの「ちょーなんのきいち」、音が自分の本名と似ているのでその意味でヘコむ

*3:労使間強調を目指す組合幹部の孝子の父親は、組合若手をリードして対決姿勢を喜代二を陥れるため金に困った喜一に警察でウソの証言をさせ逮捕させる

*4:まあ作中、実際に父親が悪いので文革ほど酷いケースではないし、実際の文化大革命が始まるのはこの後だけど、左翼が潜在的に良心とする「組織>個人」の図式を全く警戒していない様子が窺える。この果てが文革でありポル・ポトであり連合赤軍山岳ベース事件であると思うとこの場面笑う以外に対処のしようがない。やだね〜(カイ風)

*5:その炭鉱のある中国の省の地図と炭鉱の名前、それと「民族の団結のために炭鉱労働者は手を取り合いましょう」と日本語で書いてある

*6:一応、戦時中炭鉱で強制労働させられ、現場監督に虐待されていた中国の捕虜を山田美鈴お母さんと当時付き合っていたアカが助けて恩義を受けていた設定がある

*7:色んな意味で

*8:もちろん映画制作の意図とは違う部分でですが