その百二十七 銚子市長崎 『西宮神社』


 外川の大杉神社をお参りして、「関東最東端神社参拝、あーよかったよかった」と安心して犬吠近くの温泉の最後の客となって入浴後、なんとなしにグーグルマップで現在位置を確認したところ、なんと大杉神社の更に東に「神社」の地図記号を発見。このままでは敗北してしまう、と言うワケで急いで該当の場所へ行ってみる事に。
 「長崎鼻」とは外川地区の東側、太平洋に突き出た岬で、銚子市長崎地区はこの「鼻」を含んだ周囲一帯。北側に海水浴場が有る他に海に面して舟場、あとは漁業関係者と思しき住宅。住宅地は一本の狭い路地を中心に道沿いに建っている左右の家の脇の細い道の先はすぐ海岸といった様子。この景色の中に神社の姿は見当たらない。このような街の作りとは知らないモノだからこの中心の路地に750cc超えのバイクで進入、路地の先は日中網やなどを干している空き地になっておりそこにバイクを駐めて周囲・・・と言っても家々の軒先を擦るような小路・・・を歩く。家の敷地と家の敷地を縫って歩いた小道の先に、石垣で組んだような高台、見上げると鳥居、階段もあるので上ってみるとそこがお目当ての神社であった。
 君だ石垣の上から周囲を見下ろすように鎮座する当社ではあるが、そのお社、大変小さく所謂祠と言って良いような石造り、そのお社の規模に比しては結構立派な鳥居、これも石造り。地域のみで奉られているお社がこぢんまりとしている事に何ら違和感はないが、この社の場合、鳥居傍らに立てられている由緒書きに或いはその理由を記している。
 祭神事代主命。元々は播磨国西宮神社より勧進して分祀した事が始まりとの事。ここ長崎鼻の地に鎮座して地域安泰と海難避けに深く崇敬を集めるが、場所柄時時折度重なる津波に襲われた旨記される。小さく、簡素にして、堅固な社はちょっとやそっとの津波にもさらわれるコトの無いように。もちろん今ここまで届く高さを誇る津波が来ればとても困ってしまう。
 社が小さく堅固なのは時々の津波の害を案じての事だけではないらしい。これはもうひっきりなしに吹き付ける潮風への対策、止む事の無い分こちらの方の対策が大きいのだろう。お社の斜め後ろには先代のお社と思しき依代を抜かれた石の古社が置かれていて、表面、同一方面からの機銃掃射を受けたが如く多くの窪み。遮るモノのない海近くの高台で潮風の掃射を受け続けた挙げ句の窪みであろう。鳥居の狛犬も潮風掃射により減免が崩壊する程の傷を受けてなおお役を奉じている。ご苦労様です。
 先代お社は現役お社の斜め後方、倉庫のような建物に立てかけられて置かれている。倉庫の壁にはなにやら文字の後が浮かぶがおそらく潮風のせいで大分擦れてしまっているが、どうやら「災難時利用」のための倉庫らしい。この高台から更に二階建て、ここまでの高さの波はさすがに来る事がないかと思いたいがそこは天災の事、何が来るかは解らない。重要なのはこの倉庫、扉は開け放しのママ、中を見るとモノの間の隙間が目立ち、要は大事そうなモノはおろモノがあまり置かれていない。何本か舟の櫂らしきモノが転がっているので嘗ては救難用舟が置かれていた事窺える。現在利用を前提としていないのは恐らく良いコトなのだろう。倉庫の更に遙か向こうの空から時々一瞬だけ空が光で現れまた闇に戻る。犬吠燈台からの光である。ここから見ると燈台は休むことなく放った光をくるくると回して大変仕事熱心。燈台からの光は神社の上方を通り過ぎて鳥居の向こう、目前遙かに広がる太平洋へ。そう言えば、関東最東端の神社を探してここまで来たのであった。