その百二十八 横浜市中区根岸旭台 『瀧不動』


 冬来たりなば何とやらと云いますが、これから書くのは今年の春のお話しです。そう言えばキリンジの堀込兄の曲『冬来たりなば』はやっぱり変な歌詞でクセになりそうですが、さて。
 根岸線根岸駅を降りる。降舎後ふらふら歩いて湾岸の工場を遙かに眺めた話しは以前にしましたが その時メインの演しモノだった工場と反対側のエリア、工場等をより良く眺めるために上る根岸の山の中腹にあるお寺。すぐ目の前が住宅なのに瀧が現れたりと意表を突く景色に友人と二人でびっくらこく。もっとゆっくり観てみようと後日バイクで訪れてみました。
 急な階段から始まる境内、その一歩でも寺域内に足を踏み入れると聞こえてくる瀧の音。現在の横浜市一帯が東海道宿近くの寒村だった頃からこの有り様はあまり変わらないのだろうか、段を上る参道の途中役行者や地蔵の石仏の姿。修験者が修行を積む程険しくはないが、それでも適当に付いた傾斜に周囲の緑、そしてこの場所で無理矢理異界感に引き込む瀧の音、昔は参拝にかこつけた人々密かに憩いの場所であったろうと思いを馳せる。
 異界の元の瀧、境内入り口近くに一つ、その上本堂脇を抜けた奧にもう一つ、都合二段の瀧。水量は随分と少なく下の瀧はなんか一本の細い糸のよう。滝の上の方、根岸の山仁米軍やら住民やらがガシガシお家をおっ建ててるモンだから水量少ないのは仕方がない、というよりこれだけガシガシ住宅が建ってその下に未だに瀧の流れが残っている事を不思議、と誉めておくのが正しいのかもしれない。
 上の方の瀧、その瀧壺周囲に地蔵・観音・明王の像。院名の「不動」の通り、瀧壺の明王像は不動明王なのだろうが、瀧上にある明王像が本堂安置の本尊と同一の形を成しているかどうか、本堂深く覆われた御簾に厨子の蓋が重なり本尊の姿は見えない。いずれにせよ、これだけの像に囲まれているのは楽しい。上記のようにここに至るまでの参道途中にも石仏多く、偶像好きには垂涎モノの境内、更に本堂近くの石段中腹にネコまで登場、その手の方でも垂涎モノ。こちらの姿を認めたネコは直ぐに瀧の方の住職もしくは管理人(昔風に言うと「寺男」と言ったところだろう)のモノらしき民家(住職宅なら「庫裏」)の方に消えていく。ネコが初めに身を隠していたのは境内の狛犬の陰、その後隣の植木と段々奧に消えていった。狛犬? そうですこの寺域内には狛犬がおります。やはり昔は修験道バリバリの神仏習合で慣らした名残なのでしょう。市街地近くで神仏習合の名残を認めるのは珍しいので得した気分、つまり修験道好きには垂涎モノの狛犬。そしてその狛犬は当然のコトながら山状の境内、中腹から遠くを向かって阿吽の合いの手。その遠くを見つめる視線の先、住宅地の遙か向こう湾岸沿い、もうもうと煙を吐く煙突が居並ぶ巨大な工業地帯。昼眺めよく夜も恐らく電飾付いた工場遠景が好きな人にはたまらない垂涎モノの風景、寺域に存する狛犬だけあって嗜好もなかなかマニアックなようです。