『銀心中』

 都内で理髪店を営む石川喜一(宇野重吉)・佐喜枝(乙羽信子)夫婦の元に喜一の甥の珠太郎(長門裕之)が郷里から上京、住み込みで働くようになる。時は敗戦色濃い太平洋戦争末期、やがて喜一は徴兵を受け戦地へ。後を任された珠太郎は佐喜枝と共に必死で店を守るが、やがて珠太郎も戦地へ。入れ替わりに届いた喜一戦死の報を聞いた夜、店は空襲により失われる。やがて終戦、戦地より戻った珠太郎と再会した佐喜枝は寄る辺の無い我が身を憂え若い珠太郎に惹かれいつしか男女の仲へ、やがて二人は協力して働き理髪店を再興する。二人の働きで店も順調なある日、戦死したはずの喜一が帰ってくる。

 新藤兼人監督の乙羽信子主演作品なので、乙羽信子の演技振りを中心に据えるのが映画の無難な鑑賞の仕方なのでしょう。本作、乙羽信子はシナリオ上は二役、実際な三役もの女性を演じている。と言うのは前半の佐喜枝と後半の佐喜枝が別人という言いたくなるような変化振りによる。前半「幸せ」と云う雰囲気、床屋の女将というあるべきところに収まり当たり前の如く主人に愛されている様子が清純派の姿を彷彿とさせる若奥様姿に対して後半、血の繋がらない若い甥への情念が自身ばかりか周囲も巻き込んで行く破滅的な女の姿、これ以降の彼女の姿は、その情念の行き着くところ予想通りの結末を迎えたお陰で存在する事は出来ないが、その最後を迎えた温泉街で彼女の一途な情念を嘲笑い彼女ばかりか俗世に対して過度に厭世的な故にやさぐれた感のある芸者の梅子*1の姿は或いは予想通りの結末を迎えなかった彼女の後の姿だったのかもしれない。元々追われる意味さえない男の姿を追った末の奇妙な「逃避行」、その結末を迎える雪深い温泉街以降、夫役の宇野重吉は登場しない。もしも「誰が一番悪い?(但し「戦争」抜かす)」という質問が出た場合、答えは「宇野重吉が演じる喜一」で問題ないかと。ただし面と向かって「なんで私たちを許すの! 優しすぎるあなたが一番いけないのよ!」と面罵する乙羽信子演じる佐喜枝は違う意味でやはりヒドイと思う。判っていてもそれを言っちゃいけない。そもそも、まだ男達誰も戦地に取られない家庭という単位としては最小限に当たる平和を楽しむ屋根の下、外では忍び寄る戦火の足音、この内と外との温度差が生み出すギャップに加えて「家族」の中に不自然なほどに溶け込んだ、夫婦にとって可愛い「甥」の存在がまだ夫役の宇野重吉がいるにもかかわらず既に微妙な異物感を醸しだし*2、「恐らくこれから起こるだろう」出来事の予感を既に空気として生み出している宇野重吉乙羽信子長門裕之が家族として同居する家は大変不思議で、この時点で既に異常だ。思い返すともうこの時点で乙羽信子の姿が怖い。
 やる場のない情念の行き着き果てる先として、「銀温泉*3」の雪深い風景、本来なら繁盛期を外れて閑散としているのが常、にもかかわらず時折用意されるお座敷の高揚が俗世間との隔絶を深めている。温泉場の常ならぬ隔世感がその場にいる、更に、或いは真に俗世間と離れざるを得ない一組の男女にとっては更なる世間との隔絶となること、その寒さが恐ろしいほど画面から伝わってくる温泉街という道具立ては見事だ。普段ならテツによる羨望の対象になる馬面電車*4にさえ揶揄する声を失ってしまう。それにしても本当に走っていた電車をそのまま使っているだけなのに演出っぽくなってしまうこの車両の存在は卑怯だな。まるで最後に登場して泣きながらさり気なく二人の関係と悲劇を総括している殿山泰司みたいだ。

*1:本当の意味での乙羽信子二役

*2:いくら甥っ子でも血の繋がってない乙羽信子の悪意のない馴れ馴れしさにはドキッとしちゃわない?

*3:モデルは花巻市にある「鉛温泉」とのこと

*4:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E9%9D%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A