日豊本線宗太郎駅


 その昔、将来のことなど何も考えていない無知な少年だったsans-tetesさんは、久々に宮崎は延岡にある母の実家に家族皆で帰ろうというのに便乗して、他の家族構成員が皆自家用車+フェリーにて海路九州へ上陸しようというのに反発して一人陸路、それも新幹線使わず当時現役の寝台特急『富士』使わず全て『青春18きっぷ』を利用して向かおう、と言う無謀な計画を立てました。家族から離れて延岡へ向かおうというのに資金は全て親の金です。困ったモノです。
 当時夏期の臨時、京都発で運行していた『ムーンライト九州』と云う列車は九州島内に入ると乗客悉く降り去り、何故かというとJR九州管内優等列車最優先のダイヤの合間を縫うため快速とは名の付くモノの聞いたコトも乗客の降りる素振りさえ見せることのない駅で後発の優等列車をヒドイ時には上下合わせて3本もやり過ごす通過待ちに閉口しながらも、そこは無知な少年のこと小倉・博多で殆どの乗客が降り去った車内食い散らかした駅弁の空箱と並んで遺棄してあったエロ本やスポーツ紙のエロ記事を山のように集めてきて車窓の楽しめない無聊を慰めたあの頃、『ムーンライト』の終点熊本から延岡へ、九州の峻厳な山々も途中バスになるモノの高千穂鉄道という伝説の路線を利用することで比較的容易に踏破が可能であり、小倉下車大分回り日豊本線普通列車の旅が当時でもどんなに過酷であったか知る由もなく、その途中に「宗太郎」という他に優れて人の閑散とする駅の存在も当然知る由もなく、つまり無知とは途方もない損失なんだなぁと悔やみつつ過ごしていればちっとはマシな大人になれたであろう惜しむらく昨今、ついにその「宗太郎駅」を訪れる僥倖に巡り会えたワケです。















 ちょっと見難いが、まずこの写真を見てもらいたい。延岡駅の列車発着予定の時刻表である。地方幹線の性らしく特急優先のダイヤは特に驚くに値せず、宮崎方面においての普通列車毎時1本ペースの運用はむしろ一般的であるが注目して欲しいのは対しての大分方面、毎時1本ペースで特急を運用する体制は宮崎方面と全く差がないのだがそれの赤色の時刻表示に比して黒色の普通列車の時刻表示を見て欲しい。「一日4本」、うち1本は何故か市棚駅止まり、目指す宗太郎駅の一駅手前の駅で折り返して延岡へ帰ってしまう。その一本を入れたとしてもその後約九時間、佐伯駅まで行きたいとするなら5:59の始発を逃すとその後約10時間余り、普通列車がないのである。ここで注意するべきはこの悪魔的な待ち時間の事実を乗客は決して憤慨してはいけないと言うことだ。むしろここまでスレスレのダイヤを組んでまで延岡〜佐伯間の普通列車を残すことを選んだJR九州さまに感謝しなければいけない。そうだ、地元民でも親類縁者の縁もないのに延岡駅から佐伯駅まで普通列車で乗り越そうという大タワケ者はこれからこの時刻表を見る度に「ああ、なんて慈悲深いのだろう」と泣いて拝むのだ。












 と言うワケでその大タワケの例に漏れず私もJR九州に感謝しながら延岡駅始発、5:59の電車*1に乗るために朝4時にたたき起こした宿を借りた延岡のおじさんおばさんおばあちゃんありがとう。この場を借りてお礼申し上げます。このブログを本当に見られたら困るけど。
 
 なんだかんだ言いましたが、いよいよホームに列車が到着、本当に延岡とはお別れです。

 あれよあれと市棚駅。目的地は次ですが、ここからは日豊本線屈指の難所だそうで人呼んで「宗太郎越え」、WEB上には蒸気時代の非力な列車や『富士』での長大列車による思い出を語るページが多々あります。あ、この「宗太郎越え」の名称、後でボロカスに(ネタで)言いくさるので憶えておいて下さい。
 以下、列車先頭から、「宗太郎越え」の急峻、とまでは言わずとも坂とカーブだらけ、車窓は崖と遠くに国道10号、時々集落と云った様子をお楽しみ下さい。

 それにしても運転するのが一両編成とは云えこの難所をスムーズに(車内大揺れだけど)運転する車掌兼任ワンマン運転手は本当に腕が良いと思うわ。特急列車だってココ越えるのは殆ど旧国鉄時代に製造されたアレで越えてくワケだし、つか振り子式付かない485系であの線形を飛ばすんだからそっちもすげーもんだと思うが、蛇足。

 定刻通り6:30宗太郎着。つか崖崩れでも起きない限り遅れようがないとかは言いっこナシで。

 ちなみに運転手サン、こんな時間にこんな駅で客が降りること全く想定してないのか日向長井駅まで回収箱前に立っていたのにこの駅では席を立つ素振りも見せねぇんだわ、これが。

 こうして列車は宗太郎駅に我々を残して佐伯へと急ぐ。あんまり急がんでも良い気もするけど。当駅下車、本日今のところ2名、全て観光客。
 
 改めて、宗太郎駅です。

 さてココで所謂「秘境駅」と云われる駅についてですが、当ブログでも今まで2回ほど降車&歩き回りの記事をあげています*2。元々「秘境駅」と云う言葉がライターとまで言えない「ファン」の範囲の鉄道関係趣味人によって唱えられた言葉とのこと(詳しくはしらない)。周知されるようになって日が浅いせいか故宮脇俊三さんが新しい鉄道趣味ジャンルとして「廃線跡訪問」を提唱・確立・発展(?)された時のようにそれでメシを食う物書きによって大々的に(と言ってもあくまでも「テツ」と云う一般から見れば区切られた範囲に留まるが)述べられたり疑似研究の対象として論ぜられたりと、まだ洗練されるレベルには至っていないようです。そのため「秘境駅」の厳格な定義についてはまだまだ曖昧で、殆どが書き手の主観によって左右されることが多いようです。先日ツイッターで「将来秘境空港となった茨城空港秘境駅から訪ねたい」みたいなことをつぶやいたところ、「秘境駅は何処?」みたいな返信をいただき*3、あ、なるほど、「秘境駅」と云う言葉はまだ全然洗練されていない、むしろヘタしたらそのまま一人歩きしてそのうちただ単にその怪しい語感に影響された個人の主観を脱することなく終わってしまう(?)言葉なのかな、と思ったりしたモノです。ただ、「言葉」を弄ぶにはその個人の主観に左右されている間が一番楽しいのも事実で、私なんかは厳密に定義すれば「自動車だったら簡単に行ける」この宗太郎駅なんかは秘境駅ではないと思いますがそれだと「秘境駅」の敷居がとてつもなく高くなってしまい面白くないのも事実ですし、ここは雰囲気重視で、それが面白いので、そして「言葉が一人歩き」した所で所詮限られた「テツ」と云うジャンルから逸脱するような恐れ*4はナイので、これからもこの言葉を弄ばせていただく。ちなみに、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の駅は日暮れてから行くと殆どが秘境駅になると思う、あくまでも主観・雰囲気重視で。

 この日、朝7時前の宗太郎駅は遠くもやがかかり、山中の雰囲気強く、有り難いことに雨上がりの湿り気と濡れた路面、雲と山に遮られて顔出せないお日様と、そして一向に来る様子のない列車と「雰囲気」のテイストはこの上ありません。動いていないと寒い(国道上の電光掲示により現時点気温7〜9°)と云う事情もありますが、せっかくですし、列車が来ない限り移動手段を奪われているに等しい現状において「せっかくですし」と云う言葉ほど適切な言葉は無いワケですし。

 宗太郎駅の場合、ワンマン乗車が最前列扉からのみの扱いなので、「まとも」な乗客が乗り降りで利用する「ホームのへり」は列車の扉が接する扉一つ分の広さがあればいいわけで、その「停車位置」は新しくコンクリブロックで打たれた新しいタイルで覆われて雨の日でも滑りにくいように細心の注意が払われておりますが、

 「まとも」な乗客なら本来立つ必然性の全くない停車位置外のホームのへりは補修もされない古いホームのまま、転倒の恐れ危険が生ずるコケが生えようと苔生すに任せてます。なぜなら停車位置以外のホームのヘリに「まとも」な乗客なら立つことは全く前提としていないからです。

 にもかかわらず、なぜかホーム上の待合所はその「苔生した」側に立っています。これは昔からの名残でしょう。ただ停車位置から結構離れていますのでぼーっ油断していると目の前列車が通り過ぎてって、慌てて駆けると生えてるコケで転びますので要注意を。

 「手前の看板は便所と?」はい、その通り、看板に偽りなく便所です。現在駅舎はその苔生した土台跡に何故か改札ラッチはそのままに残して

 撤去されておりますので、何か御用の向き、例えば駅の時刻表や主要駅までの運賃表はこの便所の壁に掲げられております。

 それにしても時刻表、わざわざ4時〜23時台の枠を設ける必要があるのでしょうか? いずれにせよ、ついうっかり6時半で駅を降りちゃったら次の電車まで10時間という無力感を十分伝えると言えますが、果たして伝える必要があるのでしょうか?

 直接的な駅表記以外に「宗太郎」の文字を見つけて何となくほっとした駅構内の信号設備。宗太郎駅は元々信号所として開設したのを後年地元民や後に初代駅長となる管理者の熱意で駅へ昇格したとの経歴を持ち、言ってみればこの設備、地味ですがルーツ・オブ・ソータローと呼んでも差し支えないのではないでしょうか? 人の姿が減った今においても変わらず路線を与る重要設備であり続ける信号継電室は宗太郎駅の影にして真の支配者。

 信号継電室のある向かい側、延岡方面ホーム、跨線橋の袂の崖の途中に、その駅建設に尽力した初代駅長を讃える記念碑が建っていますが

 上方が剥落してその偉大な功績を讃える名文を読むこと能いません。周囲の人々のために尽くし、周囲の人々の手によって建てられた石碑も、その人々がいなくなり見守る用さえ無くしているようであり、世の移り変わりの儚さを今は朽ちるに任せて、と云った所でしょうか。ちなみに駅長の名は「宗太郎」さんではありません。

 「ウィーン・・・グルグルグル・・・」そうこうしている内に朝同じ位に佐伯駅を出た普通列車が派手な音を立てて到着です。

 先程も述べましたとおり、列車が来たからといって走って飛び乗ってはいけません。ホーム滑る、ドア夾むと二重の危険。あれあれ? そうこうしている内に列車いっちゃうよ?

 さよーなら〜〜〜。晴れて次の列車は10時間後。

 「おにいさんは何故残ったの?」「オマエがすわれといったからじゃ!」

 「それににいさん、駅ノート書いてるとこ見られるの恥ずかしいし。」
 
 「そうか、それなら仕方がない、では切符を拝見といこうか」

 「はいどうぞ」
 
 「では拝見拝見どっこらしょと・・・いやこれ全然ちがうし。さては無賃乗車か?」

 「スイマセン、実は他の3人とも・・・」

 「けしからんヤツだ、駅舎のないここでは話も聞けないから隣の駅へ・・・ってコラ!」

 「寝たフリすんじゃない!」

 以上、10時間もあるから何してヒマ潰そうか、宗太郎駅周辺であるモノ使って一人コントでした。
 観客は、池のイモリ

 (冬眠中)
 
 続く。

 

*1:実は気動車。全線電化済みなのに。イヤ感謝感謝

*2:→ 田本駅  小和田駅

*3:返信そのものは有り難いです

*4:例えばあっちのジャンルの「ニュータイプ」みたいに収拾付かなくなるまで膨れ上がる恐れはナイ