その百四十 高島市マキノ町大崎 大崎寺内『稲荷社』


 帰路を急いでいたので「これからはどんな社寺でも通り過ぎよう」と京都駅前を出発した時点で心に固く決めていた。ならばせめて面白そうな道を通って帰ろうと考えて選んだルートは「比叡山ドライブウェイから大津北側に抜けてそのまま琵琶湖を北回り、木之元辺りで高速に接続」と言うモノなのだがさてはて。
 京都市街では清水寺・八坂神社の真ん前を通ったが耐える。そのまま山の方の細い道、更にその奧比叡山一帯に広がる延暦寺関係寺坊、途中のドライブインで飯食って耐える。寒かったのが幸いしたのだと思う。
 ドライブウェイの通行券をどっかで落として終点で難儀したモノの、料金所のおじさんは信用してくれて正規の料金だけで通過することを許してくれた。お山のご加護です。琵琶湖近くまで来ると目の前にかの有名な近江の浮御堂が登場、これには抗うこと能わず遂に心折れて寄ってく。千社札はなし。
 その後バイクはほぼ湖畔に添う形で北上。途中湖水浴場がいくつもあること、日本№2の霞ヶ浦の惨状を知る東の人としては不思議な感覚を抱く。わざわざ湖畔の道を選んで自然と避けていた国道と再び合流の後、駅表示「マキノ」の文字は東日本に住んでいても知っている有名なカタカナ行政名の名残、現在は高島市というのを初めて知る。そう言えばこの間軍艦島ツアーで渡った島は高島といったなぁ(→http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20090529)、全然関係ないが
 そのまま国道に従えば県北の山地に入り福井との境界辺りを東に抜けることになるが、湖面に執着するあまり再度国道を離れて「大崎」と書かれた細い方の道を選ぶ。つまりこの場所がある季節には満開の桜のトンネルに琵琶湖の湖面、この上ない風景を讃える景勝地であることは全く知らずに偶然迷い込む。この季節、桜は残らず散ること久しい。年間で最良の季節を外れているとは言えそこは琵琶湖八景に謳われる海津大崎の奇景、目を楽しませるに十分過ぎる明媚を楽しみながら、またオフシーズンの恵みとして同じ道を通る車も殆ど無く、比較的のんびりと走っているとよくある琵琶湖の津の袂に大書きされた「大崎寺」の文字。目の前大きな岩石様の山仁向かって登って行く階段の先、向かい琵琶湖の津からマキノの街の方を望む景色もこの上なく明媚、またもや心折れて今度は全面降伏の惨禍、潔くバイクを駐めて「大崎寺」へ向かって階段を上ることとする。折しもバイクを駐めた並びにある観光バスに階段を下りてきた多くのお年寄りが乗り込んでいく。老婆が一人しきりにこの風景を誉め、どこから来たのかを私に訊ねる。バスは長野から来たとのこと。
 バスが去った後、いよいよ完全に人気は失せて、津に静かに寄せる波の音だけ、陽は頼りなげに西向き、静かなことが景色に不思議な透明感を与え、所謂巡礼にはうってつけの舞台、普通なら心躍るとでも言えば良いのだろうが、そこは巡礼、しかも帰宅遅着を覚悟の寄り道なのだからなお心鎮めることに勤め、一方で「大崎寺」の看板に謳う「近江西国第九番 観音参道」の言葉に拝仏の期待高まる。
 参道の階段を登り切って本堂に至り、さていよいよ、と思った所で寺男さんが登場、本堂の縁でなにやらごそごそと動き回っている。どうも、まだ日も明るい午後4時から拝観仕舞いにするべく本堂の扉をあちこち閉めている様子。まだ日も明るいし、閉め始めたばかりだし、せめて本尊だけでも拝観を期待して「もう終わりですか?」と訊ねたところ「もう終わり。閉める。」とにべもなく。本堂開いてる扉と窓の悉くをさっさと閉め終えた寺男のおじさんは後も振り返らず参道の階段を下りていくが、遅れてきた参拝者を境内から排除する素振りは見えず、これは「本堂閉めてるとこ以外なら勝手に巡れ」の意味と取り境内あちこち巡らしていただく。まあお陰で一人でこの静寂を満喫できるワケだ。
 先に書いたように本堂は閉められているので、本堂内の諸像は縁の下でちょっとお顔にささくれたお傷がありますがにこにこてかてか何処で見ても血色の良い健康そうなおびんづるさまのみにご挨拶。本堂降りると境内以外に奥行きあり。木々繁る中細く先に伸びてその先仏様のお堂だけでなく神様のお社、その悉くは木々の影に埋もれていた。何となく、埋もれたまま起こしてはいけないような気もして、細かく確かめず軽く会釈をする程度の拝観で済ます。道、というか境内の一部というか、段々と影にだけでなく草とか落ち葉とかに埋もれて境内の中でも末端感の強くなりつつも道はまだ先に続いている様子も見せるので素直に従う。その後その道は下へ降りる階段となり、そのまま降りるに従うとなんと琵琶湖の浜辺へ。浮御堂へ渡す橋の下、護岸ブロックで固めた岸の上、そんなちょっとでも隔てた状況で琵琶湖の湖面に接する機会は多々あれど、しゃがめば湖面、こんなに近くまで琵琶湖の湖面と接するのは初めてで、その寄せる波の静かなことにいたく感激する。浜は大小の石岩で覆われて、右側には対岸遠くマキノの街並み、そして左側には意外に近くに竹生島。後からここら一帯が名勝「海津大崎」ということは知ったモノの、ここは秘かにその名勝中の一等地であったらしく、こんな景色を境内の奧の奧に仕舞い込み午後4時には閉めてしまう大崎寺はなんて狡いんだ、と思ったがそのお陰でこの景色を独り占めできるわけなのでそれ以上は問わない。湖面と反対側の崖の洞穴に波先不動様がいて真っ暗な中こっちを睨んでいることだし悪態はそれくらいにしておく。
 生まれて初めて直に琵琶湖の水に触り、十分すぎるほど景色を楽しんで元来た階段を上ると日の動きに伴い先程まで影に覆われ真っ暗だった境内に日が差し込んでいて、中でも湖の方を向いている小さなお稲荷様が一番多く陽を受ける。このお稲荷様がやたらと千社札付いていて、中には外人のようなカタカナ名のお札まで納めておいでで恐れ入る。これは負けじと私も遠慮なくこちらのお稲荷様に納め奉り、一部黒く朽ち、一部新たに補修した木目に榊が栄え、これに便乗するかのように白色が綺麗な脇侍狐も共に愛でる。この社に広く射していた日の光はあくまでも一時のモノに過ぎなかったらしく次第次第細くなり、再び木々の影に覆われるようになって社を後に、すると境内出口の門は閉められていた。仕方がないので跨いで帰る。