倉敷市下津井松島 『純友神社』 中編

(http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20100713の続き)

 久々にお風を通した純友神社、Sさんは今度本格的に掃除をすると云うことで本日は空気を入れ換えるだけに留めて再び扉を閉めます。本日お掃除するならお手伝いするつもりだったのですが。

 一応『純友神社』への参拝は十二分に果たせたわけですが現時刻昼を回ったところ、実は帰りの船は夕方の迎えを設定していたのでまだ死ぬほど時間があり、さてどうしようかと思っていたところ、Sさんより「神様が好きなら他にもあるので案内する」というコトになりました。Sさん口では「急ぎの仕事など無い」とは仰っているモノの普通に考えてそんかワケはないでしょう。イヤ、本当にモウシワケナイコトですが、お言葉に甘えます。

 ここで島にある「聖地*1」について

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 グーグルマップで松島を確認すると、島内の寺社関係は集落内港近くに「大師堂」が一つ、そして島北東に前回記事で紹介した今回の目的地「純友神社」の二社が表示されています。大師堂は港に面して少し小高い位置に立っており、船で港内に入るとお寺らしきモノがあることはすぐ解ります。お堂のお隣は墓地になっているので島民代々の菩提寺なのでしょう。純友神社については前回記事に記した通りです。WEB上の地図の中ではグーグルマップよりYahoo!地図の方が地図・航空写真共に解りやすいの本ブログの中の人は渡島・参拝に当たりそちらを参考にしたのですが、肝心の地図をははてなのブログに貼ることができないのでさすがソフトバンクが触れたモノ悉く手垢が付くぜとか悪態はつかずあくまでもご参考までに*2

 Sさんのお話によると地図上で確認できない「お社」が他に3ヶ所、まず南東に「お稲荷さん」、北西に「(名前不明の)祠」、北東に「お不動さん」があるとのこと。つまり純友神社を合わせると島の四方ほぼ対角上に何らかの神様がお奉りされているわけです。それぞれの鎮座地が東西南北の正方位ではなくずらしての配置に意図がある場合「鬼門=北東」に合わせてそれぞれの対角に配したとも思われますが、果たしてそれが正しいとすると鬼門の位置の祭神に「藤原純友神」を配してることに非常な興味をそそられます。徳川家康の江戸開府に当たり、江戸城の鎮守たるべく天海上人が関東最強の武神にして祟り神でもある平将門神を祭る神田明神を鬼門の方角に配したとの説は有名なお話ですが、ここ松島での藤原純友もそのような位置を担って鬼門に配されたのかもしれない。島の四方に祭られている神全てを陰陽道或いは風水・方位信仰に結びつけることは無理としても、少なくとも鬼門の位置にわざわざ祭神の例の少ない藤原純友の配置は何らかの強い意図、或いは由来があってのことだと思わざるを得なません。その強烈なエピソードを想像させる由来がいつの頃から絶えて今何も残っていないことは大変残念です。或いは現在残る「泥棒除け」のエピソードは元々の由来が変質しての結果でその中に何らかの痕跡を残すモノか。ところで、この純友神社が鎮座する鬼門の方角の遙か向こうには今回の「純友探索行」で最初に訪問した藤原純友に所縁のあるとされる元備前国一宮・安仁神社の鎮座する辺りになり、裏鬼門の方向遙か彼方、藤原純友を祭神とする残り一つの神社・中野神社のある伊予国新居浜の辺りになりつまり安仁神社・中野神社を結ぶライン上に純友神社の松島が位置すること*3、これまた興味深く面白い一致ですが、「藤原純友神」に対する西国・瀬戸内地域の崇敬の実体が不明である以上これはさすがに偶然とするしかないでしょう、と考えてたのですが電子国土ベースの見取り図を作成するため地図を眺めていたトコロ更に妙なことに気が付きました。松島から裏鬼門、南西方向に線を引っ張っていくと伊予西条市辺りで四国に上陸、更にその先石鎚山近辺を突き抜けて後西予市宇和町の辺りで四国本島を離れて再び海(宇和海)へ、でその先に位置するのは藤原純友が本拠地にしていたという日振島*4 *5藤原純友は本拠防衛の要として日振島の鬼門・松島に武力的な役割の他に呪術的な役割をも期待していたのでしょうか? そうだとするとその呪詛を施した因縁の地に残る純友の名を冠した神社、その隠された由来に平将門に匹敵するほど強力に怨念めいた背景があったのかもしれません。そして今、そのお社を大事な「氏神」として崇敬し親しんできた島の人々はいなくなろうとしています。 

 さてそれでは、島内純友神社他のお社巡りに話題を戻しましょう。まずは純友神社から一番近くの島南東部「稲荷神社」から行きたいと思いますが、ここまでご案内のSさん、お昼と云うこともあり一時抜けます。稲荷神社の場所は純友神社へからほぼ一方向というコトで案内しなくても解るだろうと云うこともあり一人で参拝します。

 稲荷社への道もSさんが時々キレイにしているので「道」としての体裁は保っており全く迷うことなく行き着きましたが、何故か途中であるはずの集落・港側へ戻るはずの道を見逃してしまい、先程来た道を途中まで戻っているはずがその道の先にいきなり目的の稲荷社が現れたのでそれこそキツネに化かされたんじゃないかと思うくらい大層びっくりした。図らずも味わったのは、山道での分かれ道は簡単に見落とすという戒めに山中での迷子を容易に狐狸妖怪の類に責をなすりつけていた昔の人の心持ちでした。

 林の中から現れたのは台の上に乗っかった祠です。「稲荷神社」を表す文字の類は全くないとは言え周囲に大小のおきつね様が点在しておりますので御祭神はすぐに知れます。周囲は木々に囲まれた林の中ですが木々の向こうに青い海面がきらきら光って見えますので今より木々が小さかった頃、お社の正面から容易に海が望め、或いは海からも容易にお社を拝すコトもできて願い事なんでもござれのお稲荷様の役用は海の漁の安全にも及んでいたであろう想像付きます。

 ここで私もお昼にします。干してある魚でもちょろまかさない限り島で糧を得る事の出来ないことはよく解っていたので、口に入れたのは予め児島のコンビニで調達したコンビニおにぎりです。お社の境内を借りてお弁当使う時は必ずまずかみさまにお供えの後いただきましょう。松島のお稲荷様、一体何時以来のお供えでしょうか? だからといって別に恩着せるつもりはありません。

 祠の前で、腰を下ろして少し休むと、木々の中から林の中から、がさがさとことこと何やらが歩き回る音。予想外のコトとて正直、ビビる。久々のお供えに隠れていたおキツネ様お姿を現すか? この恐怖はさっそくタイムリーにTwitter経由でお知らせさせていただきましたが、するとあることに気が付く。なんとこの島、イーモバイルの貧弱電波なが届くと。正直、この場所でケータイを使用すること想定していなかったのでこれまたビビる。コレではいつ遭難しても助けを求めるコトが出来るではないか! その内藪の中から「ケー!」甲高い声が辺りに響く。なんだまたバカのキジか。キジも鳴かずばバカにされまいて・・・。

 キジの走行速度は正直パネェけどそこはキジ、藪の間から尾っぽくらいは出していそうだと期待してちょっと林の中の斜面を降りてみることにする。すると藪を掻き分ける音と共に小さい何かがどっか遠くの方へ駈けていく気配を感じる。「さすがに僕はそこまでバカじゃないよ!」と鳴く代わりに足音でそう表現したとかしなかったとか・・・。キジの姿は逃したがその代わりに斜面の影にちょっと面白いモノを見つける。半分土に埋もれた夥しい瓦、そして瓦に刻まれたお馴染みのお稲荷様の宝珠の紋。嘗てこの場所に、瓦葺きの歴としたお稲荷様の社殿のあったことの何よりの証です。

 嘗てあったお社の崩壊したこと名残の瓦と言っても今あるお社、石造りの祠もなかなかご立派で、風雨の襲来や長きに手を入れることのできない現実を考えると現状なし得る最良のお社と言えましょう。現在のお社はほぼ一人の方の篤志によって建てられたと思しく、傍らにはそれを記念する石碑も。

 そして周囲、夥しい数の陶製お狐。陶器製かと思いきや金属製のモノも混じり、この島にも累代「稲荷におキツネ並べマニア」がいたことを教えてくれます。あなたの周囲にもいません?

 中にはこんな。おキツネ、遭難中。

 もちろん救出。お顔をお空に向けたのはどの位振りのことでしょうか?

 目の前で遭難するお仲間の姿を指をくわえて見てるしかなかった他のおキツネが心なしか・・・嬉しいですか?

 さて、良いコトしたかな〜? お下げしたおにぎりもいただいたコトだし、厚かましくもまた次の場所へのご案内をSさんに乞うべく一度港まで降りると、Sさんは近くで集めた海苔を天日に干すお作業中でした。またご案内乞うてヨイのでしょうか? ヨイそうです。申し訳ない・・・。

 次の目的地は島の西側。西側の北側の高台に祠、そして南側にはお不動さんが祭られているとのこと。港から集落を抜ける松島のメインストリートを上り切った所で現れる分かれ道、右純友神社のところを今度は左側に曲がってなおも坂を登っていきます。

 「お不動様はこの先にあるんだよ」と指し示された場所。どう見ても「?」。Sさん、島四方の御聖域の内「純友神社」「お稲荷様」「高台の祠」については道が荒れないように片付けていたがこのお不動様だけはどうしても手が回らなかったとのコト。現在どんな状態なのか、それこそ全く判らないので一度行っておかねばと。とりあえずはこのまま坂を登って。

 島の北岸、と言っても断崖絶壁下、滑落即着水の海岸ですが、その海岸沿いに、島の北辺に沿って西に延びる道を歩き、

 その先にあるのが使われてるんだか使われてないんだか判らない別荘のような建物の敷地を横切って*6更にその先

 岬状に細くなった島の西側にあります祠は日当たり良好にして抜群の眺望。良い場所に鎮座される神様にお手を合わせましょう。

 Sさんこの場所を通る際は欠かさずお参りされているそうですが、実際はどんな神様がお奉りされているかご存じないとのこと。祠の文字が刻まれた辺りが黒ずんでいて良く読めないせいもあるのですが、昔からひっそりとお奉りされた感も強く崇敬の念あれば正直神明などどうでもヨイのでしょうか。由来の失われた純友神社にも通じる大らかさとも云えましょうが。まあせっかくなので近付いて読んでみますと、「産砂荒神」と云う文字が見えます。土地神さんと荒神さんが習合したモノなのか、それとも元々このような名称を持つ島独自の神様なのか。名前が知れたと云っても恐らくこれから先もひっそりとお参りつかまつられて、ただしその場所や良し。これからも・・・

 「北西方面」の聖域探索は一応コレで終わったのですが、Sさんは尚も先に面白いモノがあると御案内。面白いモノと云っても岬を拠点にこの地を鎮ずる祠の神様、その先は海しか・・・と祠の背後に栄えている松の枝の下をくぐり抜けてSさん、その場から岩肌を見せ、海面に向かって緩やかに下って行く崖をするすると降りて行く。「初めての人はあっちが降りやすいよ」と私にはも少し左側の崖を指し示してくれる。

 降りた先は当然海面すぐ近く。

 そしてちょっと遠くに見えるのはちょっと有名な巨大な橋

 巨大な橋の遙か向こうには坂出のコンビナート群

 油断してるこんなのまで通っていきます

 そして岡山側にはほんのり有名な一流ホテル

 聖域の先、Sさんに案内されたのは島北西に角のように飛び出た岬の更に先端の岩場。岩場の先端はほぼ下津井方面を向いているので下津井港を出て松島に向かった船からもここの岩場はよく見えていましたがまさか自分がその岩場に立つとは思いませんでした。その昔はこの岩場ににょきっと松が一本だけ生えていて「松島の一本松」と知る人ぞ知る存在だったとのコトですが、寄る年月と日夜責め続ける風雨の威力に抗えず朽ちてしまったとのコトで、今岩場に残るのは切り株のみ。

 島を出たSさんの息子さん達がお孫さんを連れて里帰りされると、Sさんはお孫さんを必ずこの場所に連れてくるそうです。干潮時岩場の影に逃げ遅れたお魚や甲殻類、岩にこびり付いた貝、瀬戸内の豊かな海は都会のお子様の情操を育みます、よう知らんけど。海面近くで目を凝らすと海苔が青々と茂っているのが判り豊かな海であるのは確かなようです。

 すぐ足元の岩場にこびり付いてたくさん見えるのが「タカノツメ」。私は「カメノテ」の名前の方で知っています。汁のダシにすると肝臓によいと云うことで酒飲みすぎて肝臓を壊した連中が昔は良く取っていったそうですが今は滅多に取りに来る人もなく、我が物顔。ちょっと引っぱがして「手の向こうにはちゃんと甲羅があるんだろ?」とか言ってみたいですね。そうでもない? ああさよか。

 松島の西側、この岬の先辺りはちょうど暗礁があり、知らないで船が通ると座礁してしまい昔はそこに引っかかって遭難する船が時々あったそうです。またその辺り、潮の流れが複雑入り組み油断するととても危険なちょっとした難所とのこと。そういわれて海面に目を凝らすと所々潮がぶつかり合って複雑な波を生じていたり渦を生じていたりがお日様の光に反射してキラキラ、よく判ります。キレイです。本当にキレイなのは夕刻日の沈む頃、こちらは西側なので瀬戸大橋の向こうの海に沈もうとするお日様が周辺一帯を日の光に染め上げる中素直に光に塗れたり反発するように乱反射し、夕陽が色を付ける複雑な潮の流れ、この景色が最高なのだそうです。まさに住民のみが味わうことのできる絶景です。

 色々とお話を伺っている間にこの岬の目の前を大小様々な船、小さいのはびゅんびゅん、大きいのはゆるゆるとたくさん通り過ぎて行きます。まあ大体が漁師さんの船なのですが、海挟んで目の前、鷲羽山下電ホテルから発着するホテル付属の遊覧船はココが定期コースになっていて、お客満載の遊覧船が前を通るとSさんは必ず手を振るそうです。私も何となく手を振りたかったので、次の遊覧船が来るまで写真を撮りながらこの岬でウロウロしていることにしました。Sさんはちょっと呆れたのか一旦岩場を上がって少し東側にいた釣り人とおしゃべりしに行きました。

 無事通過。手を振る。ナニモノと思われたでしょうかね?

 どうやらこれで、この場所でできることは全て達したようです。島内残っている聖地は残り一カ所、南西側に位置する「お不動さん」です。ココまで三カ所、不便の無いように最低限の手入れをしてきたSさんもお不動様までは手が回らずほとんど手付かずだそうです。「お不動さん」の現在はどうなっているのでしょうか? それにしてもこの北西の方角を鎮する「産砂荒神」様、本当によい場所に居りますよね。(つづく)

*1:流行り風には「パワースポット」とでもでも云うのでせうが

*2:http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=34.42533245716599&lon=133.81769980453157&z=19&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=34.425506134832965&hlon=133.81818528436304&layout=&ei=utf-8&p=%E5%80%89%E6%95%B7%E5%B8%82%E4%B8%8B%E6%B4%A5%E4%BA%95

*3:正確にはずれています。両神社の直線上に

*4:純友神社・中野神社のライン延長上に日振島が位置するわけではありません。中野神社の位置は南西の方角からやや南寄りにずれており、ほぼ正確に南西の方向の延長上に位置するのが日振島です

*5:地図上の赤線は松島純友神社・安仁神社を引いた線、青は純友神社・中野神社、紫は松島から南西方向、途中で日振島を通過していますhttp://cyberjapan.jp/cybercgi/ptmap/open.cgi?view=VQYEE2v6rB4MOMGLlN0NCGiDQ2hUUb2r1QbWh3MWRglWFCfMYZNMx7C3sAB41bWT87l1nWSW6z1b15t6U1uGWEU41s0S87PA0plYl3y&codes=VQYEI2v6rdxvA7_dZWwlw0vK1M41wAgWwX80SQdB85gSx2lo4W1wftc0y0SFXiI40~LGdM5XZ1O5Y1PolAt2tbq9xp2uFJlBIaUNWMnl3TFJgyAQngtuis1ZPMgrC2soPdclxF52OfC3WzH4XEL2e_PZmUN0XlAcPzWdQ8L90AXeYWefnlPCQvlBo8hi2SdfInNAnuLgHOME2Qp9qNMfnuOrRAokZx7XGbAZ0tF_H8JaHQOHhU270fTcv3BaIG2dQOdAQhf5a_jpg8oZnScbJOPBAQbgfQe9wndaoHpbNPs9kZukFhUn8V3t

*6:金網の柵アリ。けど道は柵を避けているので余り意味がない。目的地の祠へは敷地内を通らなければ行くことが出来ないので、私有地とは云えこの場所に柵があること住民は快く思っていなかったらしい。でも持ち主さんが島に来れば仲良し