倉敷市下津井松島『純友神社』 後編

(http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20100716の続き)
 さて松島内聖地巡り、東北の「純友神社」、東南の「お稲荷さん」、西北の「産土荒神」と3ヶ所制覇して残るは西南の「お不動様」だけになりました。ここまで来たら行くしかないと思います。帰りの船までまだ十分時間もあるコトですし。

 ところでSさん、見知らぬ闖入者(つまり自分)によって島の生活が乱されているのに親切にもその闖入者を島中案内して、とやはり自身のするべき仕事を半ばほったらかしての歓待だった模様。私が岩場に残ってあちこち色々と景色を撮っている間に「気が済んだら声かけて」と再び港の方に行かれてしまいました。

 「気が済んだか?」と言われれば大変微妙なのですが、それはそれほどキレイな景色であって、Sさんの言われたように「夕刻のこの方向の美しさ」を堪能することのできないことも残念で、コレばかりはまあ仕方がないとようやく諦めてこの場所を離れます。向かうは当然島西南方向の「お不動様」なのですが、こちらもSさんご案内いただけると先程言をいただいていたモノの、もはや過ぎる程の好意を受け、これ以上甘えるのも憚られたので自分一人で行くことにしましょうと、先程Sさんに教わった「お不動様へ入り口」に向かって

 5秒で挫折。この場所、見た通り「道」覆い尽くす「藪」に更に左右は窪みになっている様子で万一「道」を踏み外すと結構下の方へ転がり落ちてヘタしたら窪みの底に生えている木とか笹とかに串刺しと云うことも有り得て、これは良くないでしょうと。決して私は遭難が好きなわけではありませんから、何度も言いますが。
 その旨Sさんに話して結局案内してもらうことに。Sさんはとりあえず今すぐは手が離せないので後から行くこととして、お不動様への道筋、実は先程以降として断念したえらいこっちゃに藪化している表側の他に裏側の道があるとのこと。そこへ先に行って待っててくれと指示をしてくれたSさんは用意をしてくるからと一旦お家に戻られました。
 一足先に向かった「お不動さん裏参道」。その道は途中まで先に参拝した「産土荒神」さんへの参拝道で、途中現れたどっかの別荘の境界に張られた金網に沿って林の中を進んでいけば「お不動」さんへの道が現れるとのことで、この「道」は島の電線や電話線の保守をするため時々電力・電話会社さんが使っている道とのこと。保守担当者さんは多くの工具や時々柱まで背負って頑張ってこの島まで来るそうなのだがそんなかさばった七つ道具を持っていると島集落メインルートの狭い階段を通ることができないのでわざわざ裏から上陸しているそうである。

 一応こんな、ケーブル切断注意を促す看板付き電柱が時々立っている。街中で見慣れたモノも離島の限界集落で見るとなんか悪い冗談のよう。

 冗談と言えば、先程から冗談のつもりなのか、再びつがいのキジに遭遇。今度は見事に「頭隠して」の状態、周りの草が茶色いと目立つなぁ、パチリ。

 で、金網沿いにお不動様へ・・・5秒で挫折。「金網」は確かに奥の方まで続いているがとてもマトモに人の行ける状態ではない。

 先程キジが頭だけ隠していた辺りは藪も低く比較的生えている植物が少なかったのでそちらからいけないモノかと歩いてみるも地面が柔らかすぎてすぐに陥没。キジでもなければ行けそうにない。

 そうこうしているウチに「おーい」とSさん登場。手には鎌。さすがわかってらっしゃる。

 ここから後はもう前にも増してSさんだけが頼りです。金網に沿って「お不動さん」鎮座と思しき高台の裏側を攻めるのを付いていきますがすぐに道、全く無くなる。となるとここからは鎌だけが頼りです。

 Sさんによるとお不動様のお隣には目印になる巨大な木が生えていると云うこと。とは言っても放置されて幾月日、高台の上は適当に巨大な木が沢山。さしものSさんにも見分けが付かない状態で、とりあえず踏み入りやすい地面を探して*1

目的地目指して笹を切り裂き木の枝を切り払い、えらく迂回して目的地と思しき木から離れたり近づいたり、

 遂に現れました、松島最後の聖地「お不動様」。高台の上に数体の神仏の石像が並んでいて、お社の類はなし。石像は全て集落とは反対の西の方角を向いて立っています。木々に覆われる前は皆海を望むように立っていたのでしょうか?

 この場所に来るだけでも大変な労力であることでわかるように、先の三聖地に比べて放置された期間が長かったせいもあり周囲はまさに森に戻りつつあります。並んだ石像の上に覆い被さるように繁る木々、一部土に埋もれかかっていたりと並んだ石像全てのお顔を拝見するのは非常に困難。

 その数体の石像の中で目を引くのはこの天狗さんを彫した石像。猿田彦神として奉られているのでしょうか? 或いはこの小さな島でかつて修験道が栄えた時期があったモノでしょうか。それとも、これも怨霊神がらみ、裏鬼門の方角を鎮ずる或いは封ずるべく死後天狗となったとされる四国の魔王、天皇家最大の怨霊神、崇徳上皇を模したモノなのでしょうか?*2 それにしてもこの天狗さんのイメージそのままに彫されている石像を路傍(?)で見かけたのは初めて、大変面白い。
 数体の石像中大変目立つのはこの天狗さんですが、では肝心の「お不動さま」はどうなっているかというと、なんか背中の辺りからにょきにょき生えてぶっとい幹を持つまでに成長しているなんかの木に押し出されて倒れてしまってる。

 恐るべき自然の力。密林への道も一粒のタネからと言うワケですな。この聖地、このままでは本当に埋もれてしまう。

 石像が並ぶ列の目の前、気付かなかったのですが高台に登るための石段があった。初め何故気が付かなかったかというとこの高台にはこの階段を上らず藪を蹴散らして裏側から無理矢理アクセスしたからです。もうこうなったら道関係なし。けどここに来るまでに使った道はSさん言うところの「道」に相違ないそうです。
 石段を登り切った辺りに巨大な石が転がっていて、どうやらこれが木に吹っ飛ばされて台座から転げ落ちた「お不動様」のようです。重くてとても持ち上がらないので「お不動様」が実際にどのようなお姿をしているのか窺い知ることはできません。「周りに生えてる枝葉を刈り払って落ち着いたら戻してあげなければねぇ」Sさんの言。
 周囲に草木が迫り来る中に佇んだ列石状の神仏の像達。野趣に富み、とは都合の良い誉め言葉ですがこのような場面にお目にかかること少なくなかなか去りがたくもあります。が、今回ご案内いただいたSさんも一緒と云うこともあり、何よりこれから先も鎌片手のSさんに頼らなければ無事脱出することままならないこともよくわかっているので従いますことに異存はありません。

 再び、藪を切り開く。道を見つけて比較的足元が明るくなったSさん、どんどん進んでみるみるうちに置いてかれます。まってくれ〜〜。

 「ここは道の両脇が窪みになってるから踏み外すと大変」な最後の難所を無事脱出し、体中は木の葉だらけになって再びお日様の下へ。藪が深すぎるので、カメラ構える場所も限られ、持ってたカメラバッグも草と土まみれ。途中開けなくて本当によかった。

 「あなたさんのお陰でずっと行ってなかったお不動さんに行くことかできて今日は本当によい日だ」。私はなんにもしてやしないですよー。むしろこの島を大切にしようというSさんの心意気に乗っただけですよ−。いずれにせよ普段ならまず行くことのない「道」を行った疲労はSさんも変わらぬらしく、ちょこっとSさん宅の軒先でお休みすることに。

 Sさん宅は島の集落の最高地に位置、先程も楽しみましたがここにいるだけで眼下松島の集落、その向こうに瀬戸内海の風景、大橋と贅沢な景色が一望出来ます。軒に腰を下ろすと目の前によく手入れされている庭の木々に覆われて景色は見えなくなりますが、その間Sさんは島のお水を持って歓待です。当初島を一人で訪れると決めた際、島内で飲食物の類を調達することは全く想定していなかった僥倖もあり、先程の荒れ聖地行で少々疲れていたこともあり、コップに頂いたお水、この上なく美味しく頂きました。

 お代わりの、二杯目のお水。更に目の前にある甘夏の木になっている黄色い実を二つばかしもいでくれました。Sさんにとっては特にどうと云うことはないのでしょうが、都市部に住んでる人にとって贅沢この上ない、島の、庭の、もぎたての、実。「日の当たっている方が甘いのだけど、甘いのはもうあらかた取っちゃったから酸っぱいかもしれないけど」、案の定頂いた実は酸っぱかったのですが疲労には丁度よろしく美味しく頂きます。
 主に朝方、時々この甘夏の木の下をつがいのキジが訪れてウロウロしているそうです。Sさんが出てきても「ここの人は襲わない」とよくわかっているバカのキジさん、見える位置でも逃げずにウロウロと、最近は随分と厚かましくなっているようです。島のネコ王様にちょっとお知らせしてあげたいですね。
 コップに注いでくれたお水は厳密な意味で島のお水ではなく、海底内を通るパイプによって岡山本土から引かれたお水とのこと。昔は当然の如く島内の井戸が生活飲料と使える水の全てで、何カ所かの井戸は全て集落下の方。この小さい島にいくつも井戸があるのは不思議なコトで、しかもこの井戸今まで枯れたことが無いらしい。集落の上の方に住んでいるSさんは水を汲むために一日何度も急坂と石段を上り下りしなければいけなかったとのことで、一番下の一番大きい井戸場は例に違わず集落の情報発信の場として機能。「若い時ならともかく年取ってからはねぇ」、今は各戸に引かれた水道水のお陰でお水に関しては不便さから解放されたモノの、やはりあんまり上り下りするのはキツくて、そろそろ潮時、思いは薄々感じているのでできるだけこの島の景色を撮っておこうコト、今では主要な日課となっているそうです。
 
 お伺いしたお話の中で他に興味深かったのは島のライフラインについて。水道はじめ電気・電話、基本的なモノは全て揃っています。昔は当然島の自家発電で、本土からケーブルが引かれてもなんかの理由でケーブルが切断されて不便な目に遭ったことがよくあったとのこと。お手紙も一日一回、郵便屋さんが船で届けに来てくれます。島内でまかなえない生活必需品の買い出しは当然本土に渡ってまかなうのですが、その移動の際は個々の自家用船が活躍、海上移動当然の如く船が必需品。私が実際住んでいるわけではありませんのでエラそうなことは全く言えませんが、離島の生活もそこまで徹底的に不便なく暮らすことができている、という印象です。ただしあくまで「体調が万全なら」と云うのが最大限の制約でしょう。離島の近代化は曲がりなりにも日本の政治の成果なのでしょう。近い将来、この島が無人島になれば住民と共にこれまで積み上げてきた数々の成果が無に帰します。

 有り難いお水に果物にお話、四方聖地巡りも済んでSさんも作業に戻りました。帰りの船の到着時間まで残り一時間。後はのんびりと海でも眺めながら船を待つか・・・といかないのはウチのブログにお出で頂く方ならよくご存じのことでしょう。少ししょっぱい気分になったところで更にそのしょっぱい気分を高揚させるべく訪れたのは

 港のすぐ近く、元「下津井西小学校・下津井中学校 松島分校」校舎跡。

 校舎の門は当然固く閉じられており中に入ることはできませんが、入り口その他のガラス窓から中を覗くと閉校後一度も手入れがされていないのか大分荒れているのがわかります。閉校となってどのくらい経つのでしょうか? 

 校舎の向こう側は校庭跡。一方海、もう一方は崖となかなかワイルドな味が強い校庭ですが、いまや各所に散らばる遊具と共に草に埋もれ、土に帰りかけてます。
  
 荒廃が進み廃墟としての雰囲気は今でも充分なのですが今後荒廃は間違いなく進みます。余計な所に立ち入ることはこの場所を嘗て学舎として今でも思い出を心の片隅に残す人々の心に土足で踏み込むも同然のような気がするのでこれ以上深く探索はいたしません。廃墟探索は節度を持って・・・。

 いずれにせよ純友神社で始まった松島巡りは廃校で終えます。

 分校跡を離れて港の前まで来ると、Sさんがご夫婦で港一面に干していた海苔をしまっていました。漁村では在り来たりな日常の風景、しばらく。

 ココも「聖地」と云えます港正面の観音堂。島民の菩提寺のようです。中を覗くと真っ暗のままひっそり、後はこのまま静かにしておいておきます。

 通り過ぎる際、Sさんに深くお礼を述べてお別れです。本当にお世話になりました。

 もう帰りの船が来るお時間。名残惜しくもお別れの松島。

 が、船来ねぇ。どーすんだ?

 まあ電車じゃねぇんだから多少の遅れは仕方ないな。そんなこんなでもうお別れするつもり充分になっていた松島で何となく取り残された感の居たたまれなさまでおまけに付けて松島を後に、10分も経たずに下津井港へ到着です。   おわり

*1:この作業、Sさん云うところの「道を探して」いると云うことですが、私には全くわからない

*2:その場合時代の違いから藤原純友の繋がりはかなり薄れますが