その百五十一 川越市古谷上 『薬師神社』


 「薬師」の名を冠して終わりに「神社」と今様に合わず面白いお名前。
 社は伊佐沼の畔になります。この伊佐沼、時期になると岸近くに多く蓮の葉生い茂り、社のある場所はまるで極楽浄土のよう・・・とはいきません。何せ社から道一本隔てて離れておりますので、それにしても、もしもその昔はこのお社、伊佐沼沿いにあって文字通り蓮に面していたのがその後の岸、道路拡張で離ればなれになってのコトなら随分と間抜けなお話し? 大体がこちら「薬師」、「阿弥陀」でナイので蓮は元々お門違い。
 さてこの薬師さま、例の如くお社の奥深く、扉に阻まれてその向こうのお姿拝むこと能わず。大体が御当地、来る人皆悉くが沼と蓮がお目当ての御仁と来ているので、そんなに警戒する必要のあることやら。お社周囲、蓮に代わりて今や三面田んぼで囲まれてと相成りまして、一見蓮と異なり似ても似つかぬ泥臭さとそこは浅はかで阿弥陀さんとの違いは現世利益に徹した薬師さんに相応しき景色と言えるのではないでしょうか。周り田圃のお陰で遮るモノの無く風の吹きっ晒しを・・・今の季節(初夏)の風をこういう風には言わないが・・・お社でマトモに受けて、その扉、壁、掛けられるところ一面に奉納された眼病調伏祈願を期しての「めめ」の絵馬が揺れてカラカラ鳴る。まだ高い陽に巳の当たる風の丁度良くまだしばらくはよい心持ちで過ごせそうだとお社で思うのがとても楽しい。