その百五十 神奈川県高座郡寒川町宮山町 『宮山神社』


 神奈川県の寒川町と云えばまず第一に相模一宮寒川神社が思い浮かびます。他に寒川町と云えば「秘かに新幹線停車を狙っている」と云う途方もない野望もあるのですがここでは敢えて語らずにおきます。
 寒川神社の最寄り駅は相模線の宮山駅で確実なのですが、もしも遙々遠くから御参拝に来たのでしたら敢えて宮山駅では降りずに少し遠目の寒川駅で降りて駅を少し北に、すると相模線踏切からすぐに現れる一の鳥居、続いて始まる長大な寒川神社参道を堪能してみてはいかがでしょうか? 高い杉の木立が道を覆う薄暗い参道は太古の昔々のそのままの姿で神社が鎮座しているようなそんな嬉しい錯覚を抱くことができるかもしれません。参道をそのまま真っ直ぐ突き当たりに大きな鳥居が見えて、当然その先がより濃厚な神域、相模一宮寒川神社の境内なのです。さて、無事一宮参拝を遂げたはヨイのですが、寒川神社境内千社札禁止につき奉納はナシ。
 千社札の奉納はなくても立派な寒川神社境内を探索、当方元々が拭っても拭っても取れることのない俗世の垢に塗れた濁体ゆえ間違っても神々しい気持ちで境内をなどと厚かましいことは言わないが、それなりにそれなりの気分を堪能。千社札禁域にピンポンダッシュ的に札を貼って逃げるようなマネはしませんがせっかく来た一宮、神社の本社でなくとも敷居の高く無さそうな摂社・末社の類はないか、そんなコトを考えるとはなんて俗な気持ちで神社を訪問しているのだろう、なんて自己嫌悪に陥るほど自分は洗練されているわけではなく、自身の感覚の甚だ無骨なるをこの時は有り難く思おうにもそう思うだけの洗練ささえも取り揃えていないのだから恐れ入る。
 そんなこんなで結局は適当な摂社・末社の類は獲ず、鳥居を出て参道を正面に右側、この一宮とは離れて且つ何か関連ありそうな雰囲気で佇む社が一社、その名を「宮山神社」と云う。「宮山」とはこの寒川神社一帯の地名だが、その寒川神社を差し置いて一帯の地名を冠する神社に強く惹かれる。武蔵一宮氷川神社内に摂社として「客人神社」なる社が奉られているという。一説によると今のお氷川さん主祭神、スサノヲさんが大きなな社を引き連れて来る前にこの地を治めていた地主神の成れの果てだという。一宮鳥居の脇にひっそりと佇むも、ただ名前に深遠な由来の痕跡を残すような、そんな宮山神社、或いはかつてこの地を治めた蛮族のまつろわぬ埋没神を想像して胸に仄かに宿った畏怖心に心躍らせながら向かうと、意外にも境内に由来を述べる立て札。それによると寒川神社周辺の摂社末社をここに集めてまとめて奉ったのが謂われとのこと。その名の伝わらない摂社・末社の中に古の神の末裔が住まわっておられる可能性もあるモノの、考えてみれば寒川神社の祭神、「サムカワノヒコ・ヒメ」神そのものが正体不明の神で古の神をそのまま奉祭している可能性も高く、その周囲に埋没神を探すコトがそもそもの間違いであるような気もする。寒川神社すげぇ。
 神社内の由来書によると宮川神社は子供の健康祈願に頗る御利益あり、栄えたとのコト。宮山駅から当地に来る途中に似たような御利益を説明するお地蔵堂もあり、この地域に昔より得意とする御利益なのか、それならば楽しい。最も現在はそれらの御利益、七五三という行事を一手に引き受ける寒川神社に全て取られてしまっているようにも思えるが。かつては由緒のある社も小社ゆえに段々と衰え、名の知れて更に大社であるがゆえにますます栄え、これ即ち寺社格差と云うモノでしょうか、最も当社については初めから寒川神社の摂社末社としての由緒を持つのだから今でも摂社末社としての寒川さんの多大な援助を受けて、社域に神池アリ、神橋アリ、灯籠アリ、摂社末社としては立派な社殿を持ち、一宮に比べて人のいない分時々こちらの方が色々得なのではと思ったりもする。