Wonder Toi その一 「椴法華」が行けない読めない戸井要塞

 なるほどきみの言わんとする意味がだいたい見当がつきました きみはこう言いたいのでしょう フロヤはどこだ!

 午前2時まで走りっぱなし。函館港に着いたの朝6時はそんな気分で。と言うワケでとりあえず恵山に向かおう。こうと決めたからには横に函館駅を見ても函館山が近くに見えても後悔などするモノか。私はとにかく風呂に入りたいんだ! 気持ち脇目もふらず恵山国道ひた東へ、のはずが

 こんなすんげぇやっつけ仕事で満ちた「浪漫館」の姿が目に飛び込んでくれば立ち寄らずにはおられませんではありませんか! 別に土方歳三がどうとか石川啄木がどうとかそもそも二人全く繋がりねぇじゃんとかそいうコトではなく、当然こんな朝早くから私設(たぶん)資料館が開いていようはずが無く、まあ少し小休止したかったんですな。

 思いを振り切ったはずの函館山が海に面して思わずパチリ。そして

 せっかくですから浪漫館の看板を撮ります。石川啄木がそんなに凄いのか良くわかりませんが、「蘇る石川啄木」「実像ロボット」はなんだかスゴそーですねぇ。「話しかける啄木」と云うからにはやっぱり「金田一君、スマンがまた少しばかり融通してくれないか?」とか話しかけてくるのでしょうか? 蘇ったとしても歌の一つも詠むことのない文化人は一体コジキとどう区別を付けるのでしょうか? 多分近くにいると凄く傍迷惑な啄木のような人、現代に蘇らせる意味があるのかどうかはさておいてこの、開いてなかったのが残念な「土方啄木浪漫館」です。

 「浪漫館」と並んでどーでもイイお話ですが、北海道のカラスって本当に物怖じしない。いくら朝早くの休日で車が少ないからと云ってこうやって堂々と国道の真ん中を歩いている。ネコより太い。道路が広すぎるせいですね、きっと。

 さて人格を疑われそうな悪態はこれくらいにしておいて、こっから先はほぼ脇目も振らない。函館市街よりほぼ一時間で旧恵山町域。途中二手に分かれる道があり真っ直ぐは海岸沿いに御崎の集落を抜けてお目当ての御崎海浜温泉に着くはずなのですがちょっと自信がない。大体携帯している地図のこの部分が至極見難い。路傍にバイクを駐めて悪戦苦闘していると先程からずっと海を見ていた地元のじいちゃんが「何所行きたいんだ?*1」と声をかけてくる。コレ幸いとはっきり「 」と告げたところ「それならばここを曲がって」と親切に教えてくれる。ああ有り難いと礼を述べてその仰る通りの道を行ったところ。

 無事着きました。恵山麓、登山口の駐車場。ねぇよこんなところに風呂なんか。温泉入りに来たのに直の噴火口まで来てどーする。つーかあのじじいは何を教えてくれたんだ。

 せっかく来たことですし記念に写真でも撮りましょう。実際なかなか迫力ある景色ですし。

 せっかく来たことですしトイレを利用させてもらいましょう。すると最早、この場所ですることは無くなります。ここはちゃっちゃと退散した方がヨイでしょう。

 麓からこの登山口へ至る道沿いには点々とこのような石仏が立っております。そんなに古いモノでも無さそうですがせっかく旅人を見守ってくれているのに悪態ついて素通りはあんめぇと数体に手を合わせておきます。

 這々の体で先程道を教えられた分かれ道へ戻って参りましたが先程のじじいは最早影も形もありません。随分と予定外の時間を食ったせいで風呂に入ってる時間が無さそうです。それ以前に風呂を探す気力も失せている自分に気が付きます。

 もしも亀田半島の東端先っぽを回る道があるのならばぐるっと、有名な水無海浜温泉を探訪するのもアリですが、なにぶん道が繋がっていない、しっかりと「椴法華には抜けられません」と看板も立っていましたし。何よりも入浴への意欲を削いだのは何を隠そうこの「椴法華」が一瞬読めなかったことです。

 深刻で切実だけどなんか可愛い看板を横目に、予定では既に風呂を出て次の場所へ向かっている時間。潔く諦めないと今日中に目的地に着かない可能性もあるのでここは。

 目的の場所へは一旦戸井地区まで戻ります。戸井地区と云えば近代遺産指定された有名な廃モノがありますが、当日その前に向かったのは恵山国道から山側の枝道へ、戸井高校の前を通り過ぎて高校向かいの山の中へ入っていくとまもなく

 無骨なコンクリートの壁に夏の暑さで溶けてしまったような根性なし水玉模様が全くミスマッチ、実に不思議な建物が現れます。

 コレは一体なんでしょうか? などと云う月並みなフリはなし。結構知る人ぞ知るな物件ですが、コレは終戦まで本州北海道間の防備を担った津軽要塞の一部、汐首岬砲台の跡で、通称「戸井要塞」と呼ばれる旧陸軍の施設です。いつの頃からか巷は歴史ブームと云うことで特に戦国時代の直江がどうで織田がどうで伊達がどうとか加藤がちょちゅねーとかとにかく戦国武者花盛り、つられて当時の城郭探訪にも少し光が当てられているようで大変結構なことです。あまり顧みられることはありませんがこの要塞と云う言わば近代の「城」は中世城郭より連綿と受け継がれてきた要地防御の戦術性を一部に受け継ぐモノでその意味で由緒正しい「城」の末裔に他ならないこと、どれだけの人が気付いているコトでしょうか?
 終戦、旧陸軍解体後戦略上の要点を守る重要な軍事施設だったここ「戸井要塞」も武装解除の後放置、後に自衛隊設立の際も防衛施設としての役割を再度与えられるわけではなく草生すままに放置され現在に至るというわけです。

 現役当時の建物から大砲その他武装を外したそのままの姿で現在まで残っているわけではないらしく、その後旧敷地内に高校が建ったり公営住宅が建ったりとそれらと抵触する部分は撤去・整地されてしまっていますが、それでも秘密裏の行動が大原則の軍務を偲ばせる施設のニオイがぷんぷん漂う、この場所は間違いなく一度使用すれば人が死ぬ用を為してなんぼ、の場所だったのです。戦国時代の城跡と同じように。

 なんの変哲もない砂利道を歩いて行くと突然現れる現行とは明らかに異形の建物は出会う者を心寒からしめます。本当に。

 戦前に建築された鉄筋コンクリートの壁面に施される不思議な模様は迷彩の用を為すカモフラージュの為の塗装だそうです。戦後一度も塗り直される事の(必要の)無かったため、大分色褪せてしまっていますが、それがよい「味」になっています。建設当時それ以外思想の入り込む余地の無い徹頭徹尾機能性のみで建てられた建物が現在、街中で気取った風を見せるポストモダンのすかしっ屁みたいな建物なんかよりずっと洒落っ気を感じさせる不思議。

 道路から来ると見える範囲で三基の構造物が確認できますが

 向かって一番右側の建物は土に埋もれている部分が多く全容の把握が難しいです。

 真ん中の、一番最初目に飛び込んできて多大なインパクトを与える建物、上部土に覆われその上に木々が生い茂っています。恐らく恐らく施設廃止に当たって後から盛られたモノでしょう。施設の入り口らしき場所は二ヶ所確認できますがいずれも金網に覆われ中に入ることはできません。

 入り口上部に剥き出しの鉄骨。何かの接続を物語る遺物ですがそれが何であったのか(扉? 別棟の屋根?)確かめられる遺物は残っていません。

 が、このまるで初めからこのままの状態であったかのように飛び出た部分だけ不規則に乱れ曲がっている鉄骨の錆がちょっとだけ愛おしい。

 見ての通り金網で封鎖され施設内部に侵入することはできません。中は入ってすぐ左側に抜ける通路(もう一方の出入り口)、突き当たりに広めの部屋。

 金網は戦後のモノでしょうがこちらは恐らく戦前の、鉄製蝶番。

 近寄ると迷彩が未だくっきりと(「くっきり」と云うのは戦術的にどうかと云うコトなのですが)残っているのが見て取れますね。

 現在は迷彩とかそれ以前に完全に草木のカモフラージュが効いていますが、この柄としてのセンス、戦術的にはどうなのでしょう?

 構造物はカーブを描きその先の前方(?つまり目標の汐首岬方向)は藪がひどく全容はよく解りません

 三基並んだ内の一番左側の構図物は一番土の堆積がひどく、草木の生えっぷりも半端でないため壁面の一部を辛うじて覗かせている程度です。

 施設前面に回り込む道(現在高校のグラウンドがある)もあるので前面に行ってみますと

 道端に巨大な糞。しかもまだ新しい。さすがにクマじゃねぇだろ。シカ?タヌキ?キツネ? いずれにせよ対処対応は頭に叩き込んでいるから警戒は怠らず先を進むと。

 ・・・なんだアレは? 「ウマ」。正直、とても狼狽する。全くの想定外だったモノで。

 こんなところで野生のウマ? まあ気にしたって仕方ないので施設の前面を確認。先程一番土に覆われていた最左翼の施設。一応は確認のできるモノの

 こちら側は表面を一度削られてしまったのか迷彩柄は確認できず、むき出しのコンクリの壁面になっている。構造物は高校グラウンドのネットと通路を挟んで並行して残っているのが確認できるのだが、藪に覆われて居るせいで建物の切れ目が判らずこちら側から構造物がどれくらいの規模でどんな形で何棟あるのか殆ど確認ができない

 気にしないと言ってもこうやって壁面を見ながら移動しているのだからクサ食ってるウマの方に近寄らないわけにはいかない。その内ウマのリーダー格っぽいのがしきりとこちらを気にするようになり

 一斉にこの奥の藪へ消える・・・がこの直後「ワンワン!ギャウギャウ!」と犬が吠える声が聞こえて一旦藪に入ったウマが全員走って戻ってきて・・・こっち突っ込んで来るよ!これは多分死んだな。

 ウマ目の前で方向転換、横の藪中へ消えて行く。イヤマジ怖かった。

(写真のウマはニブいせいかまだ幼いせいか他のウマ連中より一頭ワンテンポ遅れて行動の子馬くん)

 さて、目の前ウマの突進は恐怖の対象だったが方向転換してくれたお陰で藪に阻まれて判らなかった構造物の切れ間と斜面(恐らく構造物を埋めてしまうため盛られた盛り土)上の足場の確保が容易になって藪の向こうへ入っていくと

 入って右側位置的(先程確認した)にこの部分、構図物の上部に当たるはずなのだが完全に土に埋もれて林と化している。

 一方左側。少し向こうの方にこれまでのモノとはまた別の、もっと巨大な構造物が見える。当然近寄って見てみたいが、そちらの方で先程ウマを追い払ったのと同じイヌが未だにギャウギャウ吠えているので、或いは放し飼いにしているのかもしれず、ここから直接行くのはちょっとイヤだったので一旦道路に戻って迂回して近寄ることに。

 途中さっき逃げてったウマ達が林の中の高台に集まってぼーっとしてる。健康的なウマは肌からたてがみから大きな瞳からがキレイなので、こーいう冒険小説の一ページのような場面に実際に行き合うとうっとりしてしまいます。ウマは向かってこなければとてもヨイ。

 道路に出ました。道路沿い、長屋形式の公営住宅が数棟、道路と垂直の位置で立っています。その奧にくっきりと、森の一部ような、崖の一部ような、そのどちらにも当たらない異形の建物の姿。
 あの場所へ行くには思いっきり人ん家の敷地内を通過しなくてはいけないので、直接行くのはちょっと憚られます。相変わらず犬がどっかでギャウギャウ吠えていて敷地内進入と同時に攻撃される恐れもあるし。バカ犬はウマより分別なし・・・。

 数棟並んだ住宅のうち一番端(国道・南側)の住宅の先は川が流れてます。川に沿ってあまり利用されていないようですが道があるのでそちらから回り込むことに。ちなみに一番川側の家でも見える位置で犬を飼っているのがわかるのですがこのいぬが小屋から半分体を出して犬のクセに香箱を作ってるような姿勢で目を閉じてる、時々ぴくっとしているから人の気配はわかっているはずなのに吠えない、ほとんど動こうとしない、ネコみたいなイヌでちょっと助かる。

 川側から例の構造物に回り込むと緩やかな斜面になっていてこの斜面を登り切るとあら不思議、目標の構造物の上部に着いていました。コチラこの、「戸井要塞」の遺構中、目で確認できる最大の遺構です。

 色褪せているとは云えはっきりと迷彩色の跡が確認できるこちら側の遺構は城壁がぐるっと途中でぐにゃぐにゃと曲がりながら大ざっぱに言って半円状に内側を囲う様に残っている。建物内部への入り口は2カ所確認。当然この内部が本来の機能・目的を担う部分なのですが現在ではこの「円状の壁」の内側、誰かが自宅の中庭の様に利用しているらしく、野良道具やらが放置、散乱。この場所が現在私有地として利用されているのかそれとも勝手に使用されているのかよくわからない。写真に写ってる途端が被せてある煉瓦造りの炉の様な構造物は或いは旧軍時代の遺構の一部かもしれないが、ここから反対側から見ると

無残に崩壊しているのが見える

 構造物上方(つまり、今時分が歩いているところ)に残る何か接続していたことを物語る土台の跡、飛び出た鉄骨。手前の軟式野球ボールは別に大きさ比較のために置いたのではなくどこから飛んできたのかここにあったのです

 写真の位置は構造物の一番端っこから。ちょうど真向かいに見える入り口その1。見ての通り鉄格子で封鎖されている模様。屋根伝いに向こうの方まで行ってみることにします。

 途中見つけた境界票は非常に無骨な造型。角も欠けてる。

 「鉄格子の入り口」の真上辺り。今度は単体側から先程写真を撮った構造物の先端を。写真左端、構造物が盛り上がって高くなってる辺りに先程のなんかの土台の跡とロストボールがありました。

 ぐるっとあの上を渡ってきました。

 さらにこんなところをほぼ周縁に沿って進んできました。人ん家があったり茂った草葉が邪魔してと正面からの写真を撮るのが困難のため上から撮った写真で何となく構造物の形をつかんでいただければ幸いです。

 現在地、構造物最高所。この足元に「入り口その2」があって、どうやら封鎖がされてない様子でもしかしたら内部に進入することができるかもしれない。が、実はこの場所の真下にイヌ畜生の巣箱があるらしくもうここにいる間クソイヌがギャウギャウと吠えてうるさいうるさい・・・。なんかロープがぶら下がっていてそれを伝って真下に降りられそうでもあったのですが、降りたらいきなりイヌの攻撃、と云う自体も考えられてちょっと踏ん切りが付きませんでした。

 ので、このまま構造物が地中に消えている辺りまで進み、

 再びウマ集団の前を通り・・・それにしても吠えないと云うだけでなんと友好的に見えるのでしょうか? いずれにしてもウマさん達、じゃね

 イヤだったんですが人が住んでると思しき公営住宅を突っ切って構造物の「入り口その2」まで近寄れる所まで近寄ってみましたが

 既にこの時点でイヌがぎゃうぎゃう。本当腹立つわ〜。飼い犬じゃなきゃぶっ飛ばしてやるのに。と言うワケでこれ以上近付くことは断念。以上見える範囲で「戸井要塞(汐首岬砲台)」の見学終了。
 現役当時、砲台は全部で4基。汐首岬の先、現在は国道の汐首トンネルが通ってる辺りに観測所があって、そこからの連絡・指示によって津軽海峡を通過しようとする敵艦を砲撃する流れになっていたようです。
 
 イヌにムカついたからと云うワケではありませんが、帰路、ネコを連れた地元のおいちゃんが居たので写真を撮らせてもらいました。またかよ。

 おいちゃんが言うには「コイツはイヌだ」とのこと。意味がわかりませんが要するにネコのわりにはよく言うことを聞いてこうやって放し飼い散歩までできてしまうと云うコトのようです。ついでに「戸井要塞」のコトについても聞いてみましたが、詳細については知らないモノのやはり地元では「知らない人は居ない」程度の知名度はあるようです。が、今はねこねこ。

 「そんじゃ」・・・おいちゃんは散歩の続きに去っていきました。すると成る程、何も言わないのにネコ、勝手においちゃんに付いて行きます。あれがイヌか。まあ吠えないからイイよね、全然こっちのほうが。(続く)

 

*1:以下地元民の会話は全部方言