支笏湖畔の

 バス停です。

 バス停かよ! 正確には「お宿」と言いません。どちらかというと「野宿」と言います。
 ここで「野宿」の定義ですが、簡単なようで大変難しいと思います。「とにもかくにも露天!」と云うのはまさに紛う方無き正統派、なんら反論の余地のないまさに野宿の中の野宿ですし或いはこれ以外を「野宿にあらず!」と居丈高に豪語されたりする方や、戦時野営平時六甲山遭難のキケンも孕む命がけの職業野宿人である兵隊さん方にはお叱りを受けるやもしれません。
 が、ここはアマチュアの怖いもの知らなさで押し通すべく野宿界の権威的ミニコミ誌『野宿野郎*1の「寝袋ならとりあえず野宿」の定義を借りようと思います。宣言、コレも野宿。

 はっきり言って野宿なんて卒業してもいい歳だんべ、だいたい何年ぶりよ、どうしてわざわざ、とか色々かかる質問もお有りになりましょうが、とりあえずマトモなお宿を逃してしまった理由として押せ押せの道内巡行スケジュールが全てであった、コレに尽きます。この日、予定では札幌北大近くにひしめく安宿の一つにでも泊まってと予約まで入れていた所お昼の時点でどういうワケか「こらアカン。もう無理」と勝手に札幌行きを諦めてしまいイー・モバイル電波の通じる間に早々に宿にキャンセルの電話を入れてしまったことが第一の伏線となり、宿の決めない気楽さ、後はどうにでもなれと観光、ツーリングに勤しみ気付いた時には辺り闇に包まれる支笏湖に浮かぶ月をただ無情に眺めると云う有様でございました。

 この時点、辺りの宿は戸を締めてしまっていること当然のこととして、その閉じられた戸を叩いて回るのは大変億劫と、心には野宿の選択限りなく広がり、既に宿を探す労より野宿の方法と場所を探す労を厭わぬ風に傾いていたのでした。
 ここで問題として今回の旅行、野天を枕とするための本格的野宿の用具、テントその他の類は持ち合わせず辛うじてシュラフ(寝袋)のみいつでも取り出せるように荷物にくくりつけているのみ、と云う貧弱な装備であること考慮しなければなりません。「銀マット」さえ持っていない状況というのは実はとても過酷なことで、寝袋あったとしても地面からの冷気がほぼ直に寝袋に直撃するという状況はかなり過酷なことで、せっかく年甲斐もなく野宿再デビューを期したとしても一度の野宿で体がボロボロになること、トシ考ええろよとせっかくの餞に水を差すこと請け合いです。よって、「野宿」を決行するに当たり以下を有効な選択肢とする必要が出たのでした。

 1 駅

 駅にはベンチがあります。運が良ければ旧式駅舎のままの木製ベンチまで残っていようモノならこれに勝る暖かな寝床はありません。野宿の世界では既に「駅寝」と云う独立したカテゴリーを持つ駅での野宿はすごく初心者向けな野宿入門に相応しい方法なのですが如何せん、支笏湖周辺に鉄道路線はありません。よって駅無し、却下。

 2 公衆トイレ

 公衆トイレと聞けば、普通「汚い」「クサイ」と云うイメージが先行します。実際酒焼け声のぐでんぐでんの口臭を罵る時に「おまえの口はパーキングエリアのトイレと同じニオイがする」とはよく使われる例え話です。そんなトイレで一夜を明かすというのか? ところが最近の本邦トイレ、環境と人に優しい日本国のトイレに相応しく比較的清潔を保たれおまけに「多目的トイレ」と云う密閉性と居住性に富んだトイレまで付属しております。「多目的」の中に「寝る」が含まれている場合は非常に少ないと思うのですが、広い北海道、所々に道の駅始め通行者の便に沿える為の公衆便所が比較的多く用意されております。寝る場所がないと云う緊急事態故、この多目的を拡大解釈して利用させてもらおうと支笏国道に面した「きのこ王国」の24時間トイレをターゲットに定めた所電気つけっぱなし、更にガンガンにラジオを効かせており野宿防止の意図がありありと取れたためやめました。

 3 ねこ

 言ってみたかっただけです。強いて言えば、日本人古来からの生きた暖房器具と云うことで従順なヤツの一匹でも捉まえることができれば銀マット一枚くらいの代わりにはなるかも知れませんが、いかんせん旅の空にそんな従順なネコをすぐに見つけるのは極めて至難の業です。

 4 バス停留所

 上記3案がほぼ問答無用で却下の憂き目に逢い事実上この4案のみが実現性のある案と云うことに。実はこのことを予想して道上陸直後から道内のバス停待合所の形状を注意深く観察していていました。当初の予想では北海道のバス停待合所、寒気や雪避けのため扉が付いてある程度の外気を遮断できると踏んでいたのですが、観察してみるとどういうワケか扉のない待合室が多い。やはり野宿者防止のためなのでしょうか? 大体支笏湖周辺山の中のバス停は夜クマが怖いので落ち落ち寝てられない気もする。

 5 神社

 「そうするとヤツらが越えるこの峠を越えるのを見計らって待ち伏せしてだな」扉が開いて浪人風の男登場(効果音)「面白そうな相談をしているな。俺にも一口乗せろ。自慢じゃないが腕には多少の自信があるぞ。」と、こんな風に時代劇によくあるように江戸時代頃までは悪巧みの相談にもってこいの場である山の中の神社、食い詰め者の浪人や旅の乞食坊主、逃亡中の駆け落ち者に戦災孤児等々ありとあらゆる宿無し者に束の間の軒を供してくれるありがたい存在であります。現代に至ってもそのありがたさや些かも衰えていないと思いたいのですがそこは世知辛いご時世、多くのお社は扉を固く閉じて許可を得た者しか入る事許さないのが殆どです。中には昼夜問わず扉に鍵など掛けるコトなく御燈明の欠けるコトのない神社もあるにはあるのですが多く神社の中からその神社を突き止めることはなかなか至難の業です。

 と言うワケで候補としては限りなく第4案に絞られつつある中、開いてる温泉でもあれば風呂にでも入らせてもらおうとほとんど思案もなないままに支笏湖畔の公営駐車場に着いたのでした。すると湖畔の温泉街は既に夜の気配に包まれ、温泉はおろか食事さえできそうな雰囲気でないこと先に書いたとおりです。さて困った。ここは支笏湖畔での逗留を諦めて素直に海側鉄道路線のある方まで戻るべきか、或いは札幌等都市部まで行くべきか、刻一刻と迫る深刻な状況を前に思案中の私の目に飛び込んできたのはこの看板でした。

 決定。恐らくこの文言に「その意味」を意図はしていないと思いますが、ここは拡大解釈させていただき最大限に利用させていただきます。つまり今夜は「支笏湖停前休憩所」にて、駅寝・・・じゃないなんて言うんだろう? ワカラナイから駅寝→SB(Station Bivouac)に倣ってBB(Bus stop Bivouac)とでもしておきましょうか? けどめんどくさいから以下「駅寝」で統一。

 よくワカラナイのですが、駅寝する上で一番気をつけなければいけない点は本来の利用者である交通機関利用客に配慮しなければいけない点でしょう。この点この「支笏湖」バス停の終バス時間は17時台、始バスは9時台と現時刻(21時)から駅寝者が「利用」してしまってもその意味では全く問題ないコトが判明。いよいよコレはありがたい、が17時台でバス無くなるんなら確かにこの温泉街の夜は早いわ。
 雪国ではお約束の三角屋根の建物内は地理的特性上防寒対策も完璧で。道央南部といえども山中夜、朝ともなるとさすがに急激な冷え込みが予想されてもこの点は寝袋一枚で寝ていても大丈夫なくらいです。
 建物内トイレ水道完備。なんの注意書きも書かれていませんがさすがに飲料とするには怖いのですが、外に出れば飲料の自販機がいくらでも観光地価格で手に入るのでケチるのはやめましょう。足を伸ばして支笏湖の方まで行けば飲んでも多分大丈夫そうな水飲み場もあります。

 まさに駅寝の環境としては申し分ありませんね。気になる点と言えば観光地故の夜中の闖入者。この日は特にモラルの低そうな国からいらした観光客の皆様が多数見受けられたのが少しイヤでしたね。も一つはちょうどこのバス停休憩所を見下ろす位置に支笏湖駐車場の管理事務所があって事務所内未だ煌々と明かりを灯していたこと。まさか観光地の半公で働く人間がそんなに仕事熱心とも思えんが苦情が来れば退去せざるを得ない立場であるので、ここはなるべく無用なトラブルを避けるべく、ドアにヒモをふん縛って外部から闖入者が入ってこられないようにしました。今考えるとコレこそがトラブルのタネとなりそうな行為であったのですが・・・結果的にヒトもガもハムシもシカもクマもどっかヨソの国籍のヒトも入ってきませんでしたのでヨシとしましょう。
 後は寝袋巻いて寝るだけですが、寝てる間に気になる些細なことが一点。こちらの建物の電気、人が入ってくると自動的に点灯、人がいなくなってしばらくすると自動的に消灯、と云うエコな造りになっていてそれはそれで大変結構なお話なのですが、この人がいるいないの探知が極めて精密で、ベンチ上での寝返りにも反応してしまう。明るいのは目隠ししてれば良いだけなのでそんなに気になりませんがこの電灯が点いた時に鳴る「カチッ」って音が結構気になるかも知れません。この時期でもはっきり言って寝袋ナシでも駅寝可という素晴らしい環境ですが、この寝返りする度の電灯スイッチ攻撃への対策を講じておくのがこの場所での駅寝のポイントだと思います。

 さて、晩の行いが思いっきり悪かったせいかこの日支笏湖は朝日の欠片も見えない曇り空のスタートです。一応の駅寝ルールでは始バスが来る9時台まで寝ていいても、やっぱ9時台じゃさすがにまずいだろ。
 そういうわけでもありませんが朝起きたのは5時頃。せっかく紆余曲折あって風光明媚な観光地に泊まることができたコトですし、朝誰もいない内に周囲を歩いてみましょう。

 バス停休憩所のすぐ裏手、階段を下りた所は土産物や食い物を売っている店がささやかに密集しています。こういう観光地っぽい佇まいは好きなので諸物対象のささやかな観光地価格も私的には大いにアリなのですが、地域経済とそれに伴う過去の消費モデルが完全に崩壊してこういう商売が今後も成り立つのか、非常に心配の点でもあります。夕張に限らず「がんばれ」と声を掛けたくなりますが。

 そんな憂いを払うのはやはりノラネコでしょう。キミタチが居てくれればボクはもう後は何もいらないよ、と私はそこまでのキチガイではありません。

 こちらの憂いを知ってか知らずか、ネコたちは警戒の眼差しを向けたままさっさと路地の奥へ消えて行きました。きっとこちらがカネの持っていない客だと見抜いたのでしょう。

 お店のある一角から木々の間を歩ける公園を抜けて支笏湖畔に着きます。結構あちこちの木で恐らくクマゲラがコツコツ木の表面をぶっ叩いてる音を聞きますが本体は遂に見かけませんでした。

 見事に天辺の隠れた風不死岳。何だか機嫌が悪そうで。

 方向は風不死岳の方なんですが実物はずっと手前目の前にある「湖畔橋」。形から過去鉄道で使われていたんじゃないかと睨んでいたのですがアタリです。WEBを探せば現役当時の絵葉書写真とか落ちてます。明け方曇りという天候のためか橋備え付けのランプ様電灯は付けっぱなしです。この湖畔にデンと残る明治様建築物ははっきり言って浮いているのですが、辺り人が居なく静かだとまたコレも風情あるように見えるから不思議です。

 湖畔の風情と言えばコレ。静かに出番を待っているコイツらのマヌケ顔は今や湖畔になくてはならない顔に違いありません。そう思うと自分のお仕事に厳格な戦士の束の間休息に見えて、きませんね、さすがに。

 そのせいでしょうか、コイツらを管理しているボート小屋の看板には何故か色褪せた猛獣の顔が描かれています。言っておきますがエキノコックス菌をまき散らすキツネは間違いなく猛獣です。それはともかく何故あのマヌケ顔の管理に猛獣をかり出すのか、そんなに観光客を驚かせたいか、全くワケがわかりません。

 湖沿いに東へ歩いた後、ヤサに戻ると近くのお宿のお泊まり客らしい浴衣を着たおばさんが話しかけてきました。出た、遂に苦情かと思ったら違いまして、その方の息子さんも嘗て貧乏バイカーでバイクの貧乏旅には大変理解があるらしく要は気をつけてと言うことでした。ありがたいお言葉ですがぼちぼち観光客が起き出して散歩でもしだす時間になってきたと云うことで、悪意ある観光客にでも行き会ってしまう可能性も出てきたワケで、コレは早々に立ち去る必要が出てきたなと。

 地元民があんな風に犬の散歩まで始めたことですし。どーでも良いことですが私、あの手の横着な、虐待一歩手前の犬の散歩見るの結構好きです。ウチの地元には犬連れたまま堂々と交差点を真ん中から右折する原チャオヤジが居ます。困ったモノです。

 寝袋等広げた寝具等を片付けまして、休憩所内にあった箒でちょっと地面を掃いて、後はお水の補給に公園の水道へ、するとまだ居ましたコイツ。エサ待ってんのか? じゃあね。 

 まあこの場所限らず駅寝に長居は無用と云うことでしょう。いくらくつろぎ易い場所を見つけてもさっさと撤収するに限ります。写真の山はなんて名前か判りませんが札幌方面にある山。向かう先はとりあえず札幌郊外の有名な某墓地です。
 それにしても今回の「お宿の紹介」、どう見てもお宿の紹介ではなく『野宿野郎』の記事のようになってしまいましたが、いずれにせよ駅寝、運良く良い場所を見つけたというコトもありあまり困難を感じなかったこともあり、今後駅寝熱が復活しそうな兆しも見えてその意味でとても危険な一夜であったと云わざるを得ません。「トシ考えろよ」と。
 いずれにせよこの記事を参照に同じ場所で駅寝をするバカへ、駅寝中に何かあっても当ブログ主は全く責任を取りませんので悪しからず。この場所に限らず駅寝・野宿の際は全て自己責任を心がけて周囲に迷惑になるような行為も慎みましょう。自分の行為が非合法とまで行かなくとも決して合法でも無いことよく自覚するように。

*1:キャッチフレーズは「旅 野宿 馬鹿・・・人生をより低迷させる旅コミ誌」『野宿野郎』のオフィシャルページはこちら→http://nojukuyaro.net/