かとうちあき『野宿入門』

 ヒトとは不思議な生き物で、元々何か別の目的あって始めた事柄そのものが目的となり、更にその事柄を為すための手段が目的となり、手段の手段が目的となり・・・と果てしなくそのある事柄に付随する諸事象を目的に置換して更に尚、目的を探し続ける。恐らくは日々の糧を得るという生活と最大限に密接する関係にあったはずの「旅」という行為がいつしか生活と切り離された場所に行くことを楽しむ行為を指すようになり、更に目的地においての非日常的楽しみだけでなく移動の過程における非日常を楽しみの一つとして「移動」長じて「旅」の一つの手段に過ぎなかった「鉄道」と云う事柄がいつの間にやらその重要な目的の一つとなって「旅」そのものを必ずしも目的としない奇妙な人々が列車駅ホームに溢れる不思議な世界、旅における「野宿」の醍醐味を勧める本書『野宿入門』はその「旅」を目的としない「旅に付随する世界観」という前述の意味で理解すれば非常に身近なモノに感じるかもしれない。それならば本書こそ本邦における摩訶不思議な「鉄」の世界を『阿房列車』にて世に初めて紹介することになった内田百間先生の、言わば野宿版、なワケはない。すんません、ちょっと大袈裟なこと言いたくてダシにしてしまいました。実際はもっとシンプルに、かつ楽しく読める本です。

 筆者のかとうちあきさんは既にミニコミ誌『野宿野郎』の編集長兼執筆者として、毎号必ず自身の野宿体験記コラムその他数本の文を披露されていて、その当然のコトながら「野宿愛」に溢れた語り口は、少し人生に低迷気味の人々を朗らかに魅了する。ただし『野宿野郎』におけるかとうさん初めとした他の執筆陣(多くは一元の投稿記事だが)が既に野宿と旅とに慣れた立場から自身の体験を述べている分、「既に野宿と親しく親しい間柄」にある読者諸人には即有意義かつ参考になる一方、「未だ野宿の経験がない」野宿デビュー者や「かつて楽しんだ野宿を再び」リターン野宿者を野宿へ誘う誘い水とはなってもいざもう一歩、実際の野宿へ背中を押すとなると少し不安な部分もあった。それは執筆者の面々の語る体験談があまりに濃くてその点で尻込みしてしまうと云うだけではなくやはり具体的な野宿を始める方法を知らないというコトがその先に広がるあまりに濃い(そして楽しい)体験を尻込みさせてしまうと云う点になっているのだと思う。その点本書は野宿初めの不安の軽減を、その具体的方法から用具の提示、場所の助言だけでなく実際に本格的野宿へ至るまでの道のりを「消極的野宿」「積極的野宿」と段を追って解説することで精神的にも野宿に足を踏み入れ易くさせる努力も惜しまない。こうして本書を読めばアラ不思議、いつの間にか駅寝程度の野宿スキルは自然に頭に叩き込まれているという大変実践的な野宿入門書なのである。

 本書の、野宿の実践本としての役割も去ることながらおそらく同年代の女性としては日本で最も野宿の場数を踏んでいるであろう著者のかとうさんの、自身の希有な経験を交えた野宿実践談が、これがかとうさん独自の語り口と相俟って無茶苦茶面白い。例えば「怖いので野宿の際交番のお巡りさんに野宿することを伝えて寝た」「起きたら周りを大勢の人が囲んでラジオ体操をしていた」「トイレ野宿を教えてくれた東北のおっちゃん」「おじさんのブルーシートぐるぐる巻き」等々。私なんか「仲良くなった男性に野宿を誘われて」「マクドナルドに段ボールを取りに行って」「『ここの段ボールはよい段ボールなんです』」なんてセリフが飛び出す「段ボール野宿の恋」のお話には笑った、大笑いした、イヤ、イイ話、みんな結構ヨイ話。

 本書帯の「不況でも、雨の日でも、いくつになっても・・・寝袋ひとつあれば、生きられる。そう思えば、今よりちょっとだけ強く生きていける、かも?」と言う文言、正直ウソくさい。そりゃ言い過ぎだろう、と。私が本書から拾った好きな文言は「『なんだか家に帰りたくない』なんてときだって、『そうだ、野宿があるじゃないか』と思うことができれば、どんなに気が楽でしょう。『なんとかなる』と思えるのは、どんなに心強いことでしょう。」同じ見えないコトに寝袋で対向するなら、こっちの方がなんかヨイ。も一つ「それは、あなたが『野宿を愉しめる人間』、ひいては『なんでも愉しめる人間』になるための、訓練になるはずだからです」。うーむ、強引。文中強引な論調は多い。けど気になりません。気にならないウチになんとなく寝袋が愛おしい場所のような気がしてくる、ただの錯覚なのかは実践するしかない。なので、今度の秘境駅行はどっかで駅寝しながら行ってやろう。

野宿入門

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