夕張行その1 石を投げると廃モノ


 この日はバイクのガソリンが無くなりそうだったのですぐにでも給油をした方が良いに決まっているにも関わらず生憎開いているるスタンドが皆無*1と云う状況で空知地域に迷い込み、なんとなく「まあ市部の夕張なら開いてるスタンドの一つくらいはあるだろう」と本来の予定を一日早く変更して初めて夕張の土を踏むことになりました。冷静に考えれば「スタンドが見つからないから夕張市へ」と云う選択肢自体が大変な間違いなのですが、その時は何分焦っておりましたのでそんなに深く考える余裕はなく、結局スタンドを見つけたのは夕張市の市街地近く、夕張駅のすぐ近くになってです。

 お金がないのは首がないのと一緒だ、とはお金がなかった頃の西原理恵子のまんがでよく出て来たセリフですが、お金が無くなったばかりかお金を借りることも出来なくなっちゃった夕張市の表玄関駅は色々なモノに媚びてる感じがすごくイイ味を出しています。財政難により使用停止になるのではないかと思われた駅構内トイレも無事稼働中。

 媚びてる感その二、夕張市中心市街地の映画看板。市街地の某お店のご主人ははっきりと「ボロ隠し」と申しておりました。目の前の駅が付属品かと錯覚するようなボロを隠す必要のないホテルマウントレースイの立派な壁にまで貼られているのはちょいとイヤミのような気もします。

 列車も1時間に1度来るか来ないかの夕張駅、本当にこれ以上いても仕方がないので後にします。このキャッチは悲しいからもう変えろよ

 この日の予定はお隣三笠市内にある駅舎に泊まる予定だったので*2夕張駅から南下、途中清水沢駅辺りを東側に曲がってそのまま北上と云うルートを考えていたのですが、途中鹿ノ谷駅と清水沢駅との中間辺りでパトカーが張っていたに何だかひどい嫌悪感を感じたので、道でも調べるつもりをしようと何も考えないで横道に入ったところ

 廃墟でした

 コレは何の跡かというと「夕張自動車教習所」。

 北海道では必需の車の運転さえ教えることが出来ないのか・・・夕張の実情を改めて垣間見ます。そして何も考えず夕張に来ると最初「駅」次「廃墟」と云う順番に何だか自分の今後の人生と重なるようです、廃墟体質。

 自動車整備・販売場が同居していたらしく、仲良く廃墟。両方同じオーナーさんが経営していたのでしょうか? 今となっては本当にどうでも良いことですが。

 実にダイナミックに旧北炭平和炭礦のズリ山を背景に構内教習コース。残念ながら、これぞ夕張です。もしも私がこの教習所で教わっていたらあのズリ山が気になって仕方がなかっただろうと。

 コレはきっと心を残していった

 せっかくですからズリ山を背景に勝手に仮免コース設定を試みようとしましたが、この路面状態の悪さに断念しました。

 ので、構内コースは歩いて回ります

 ピット内。工具や消火器等珍なら好きそうなモノが一部残っていますが、珍の侵入した形跡はありません。大体が「夕張で珍」と云うのが全くピンと来ませんね。命名するなら「苦魔檎露死」?、坂がキツくてめろん城まで行けない。廃墟があってもバカはあまり立ち寄らない*3、夕張、治安はよいのです。

 徹底的に見通しの悪い、交差点毎に一時停止必須。ここで必ず左方優先を思い出すように。

 どうせなら廃止になった夕張鉄道の車両なんか脇にドンと置いちゃえば集客になったかもしれないのに踏切

 斜陽を受けて黄色と錯覚、信号機

 ほぼ永遠に停止

 大特免許の教習あったのですね、地域柄

 バイク教習もあったようですが

 ちなみに、「国土情報ウェブマッピングシステム」と云うサイトで昭和51年当時の夕張周辺空中写真を閲覧できます。すると現役時代の当教習所が写真右下、巨大なズリ山の麓に拝めますが
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/76/cho-76-2/c1a/cho-76-2_c1a_83.jpg
 何かすんげぇ場所にあるのが判ります。イヤ、教習所のある位置がスゴイんじゃなくて夕張市がスゴイのか・・・。

お巡りを避けた先が廃墟で一部始終お巡りに見られていたら間違いなくつけ込まれて職質受けたであろう教習所廃墟をウロウロしていたお陰でも少し近辺をウロウロしたい気分になりました。
 手始めにお隣まで迫るズリ山の向こう側、旧北炭平和炭礦周辺はどうなってるか行ってみようと、すると

 過去を徹底的に覆い尽くすグラウンドの芝生。本当に痕跡何もない。夕張市が向き合う過去への姿勢を象徴する施設ですね。ただしこの施設、所謂破綻前に作っちゃったハコモノ群の中では市民のウケがよいらしいです。

 ただ、炭礦時代の痕跡が目的でウロウロしているのにコレではアレなので更に周辺をウロウロしていると、市営住宅が並ぶ一区画、何故か古いままの住宅がまだそのままになっている区画を発見。

 奥の坂の上にある新しい市営住宅との対比すればその違いたるや一目瞭然。格好良いですが、さすがに人は住んでいないでしょう、破壊待ちでしょうと思いながら写真を撮っていると

 奥の方の住宅から初老くらいのご婦人が歩いてきて話しかけてくる。やはり怪しかったのだろうか、あ〜あ。

 と云うワケでもなく、ただ単に仕事に行く途中だとのこと。ただやはり「こんなところで」写真を撮っている人は珍しいと見えて興味本位で色々聞いてこられたので色々答えていると、そのご婦人は昔東武東上線沿いに住んでいたと云うことで、いきなり埼玉県でリンクする。歳取ったので帰れる内にと思い故郷の夕張に帰ってきたとのこと

 当時既に夕張は出て行く人ばかりで市営住宅に入りたい旨役所に相談したところココにすんなり入るコトが出来たとのこと。その内周囲の住宅は段々建て直しが進み、古いままで残っているのはこの一画のみに。現在、古い住居のメンテに却ってべらぼうな費用がかるのでカネのナイ、カネのアテのナイ市としてはさっさと取り壊して立て直したいところ、現在この区画に残っている3世帯の内一番の古株、30年以上住んでるばーちゃんが頑張って手を出せないとのコトで、話しかけてきたご婦人も移動はいつでも出来ると云うコトで今のところは居着いているらしい

 「こんなカッコ良い住居に行政の斡旋で入れてくれるのなら私も入りたい」と言ったらご婦人笑ってた。

 さて、もうさすがに日も暮れよう。寄り道はそろそろよしにして予定をこなそうとバイクに乗るといきなり道を間違う。原因はやはり、「一度行った道はイヤなので他に行くことの出来る道がないか?」試してしまうコトにあるのだろう。案の定、夕張でコレをやると間違いなく道のない場所に辿り着く。その辿り着いた先は

 いかにもな廃線跡

 全く狙っていなかったにも関わらず辿り着いた夕張鉄道廃線跡

 実はこの日、野幌から途中まで夕鉄線沿いに空知方面へ向かっていたので所々路線の名残は追っていたのですが完全に熊出没地域と重なる栗山・夕張境辺りから跡を追うことが困難になり途中断念*4。何も考えてないと捜し物がよく見つかる好例ですね。

 と言うよりつまり、夕張市内で適当にウロウロすると何かしら、誇張でなく間違いなく廃モノに行き当たるという事実を知らない内に経験していたのですね。夕張すごい。空知すごい。けどネコ滅多に逢わない。(つづく)

*1:廃墟化したスタンドなら幾つも通り過ぎた

*2:http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20100911

*3:違う分野のバカはよく立ち寄りますが

*4:伝説の錦沢遊園跡に行きたかったのです