三笠市内、炭礦の痕跡を求めてウロウロ歩くその3

 (http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20101101の続き)

 住宅地に放置プレイと云うべきかむしろ勝手に住宅地が建って周囲を占領したか、ともかく唐突に近い形で登場した弥生抗跡はなかなか強烈な印象を残してくれまして、足の向きは東へ。

 東方面へは川に沿う道道をそのまま行けばよいのですが、比較的低所を走っている道道よりもそれより高所の住宅地を歩いて行った方が楽しいと思い、そのまま生活道路を歩いて東に。予想通り面白い景色(と言うか住宅ね)だらけです

 小学校を過ぎて、墓地を過ぎると道は強引に道道と合流。道道に従ってそのまま東へ、するとすぐに北側への枝道。再び住宅地となり退屈な道道とはおさらばです。この枝道、元々は道道の本道だったらしく街中に掛けられた古い地図にはきちんと道道の旨書いてあります。枝道に入る手前で写真の「幾春別」と地名表示の朽ちかかった標識があるのもその名残でしょう。そしてこの「幾春別」こそ弥生の次の目的地に他なりません。

 幾春別地域には周辺で最後まで操業していた炭鉱の跡と周辺の炭鉱街の痕跡が望めると云うコトです。歯の抜けた櫛の如き目抜き通り、廃校、それらはこの街が栄えた名残に他なりませんが、正直、いまいちパンチ力に欠けます。すると

 どう見ても廃線跡、見つけたのは偶然です。恐らく幌内線幾春別支線の橋台の跡ででしょう。幾春別の駅はここより南側なのでこのこの遺物を残す路線は山側の炭鉱方面に延びていた支線跡でしょうか? 築堤の周囲は既に家が建っていますので近づいて築堤に登ってより詳しく確認することはできません。

 これも全く偶然なのですが、この時この橋台跡の目の前にある病院でトイレを借りると、廊下に現病院改築時の周囲航空写真が飾られていました。年代は確か平成の成り立ての頃で既に幌内線は廃止されていますが、この写真にはその廃線跡がはっきりと残っていて例の橋台跡を含む築堤からその先の廃線跡の道まではっきり写っています。次にどこへ行くか決まりました。本当に行き当たりばったりですね。

 写真によって判明したこの先が恐らくは廃線跡。現在はなんかの駐車場になっています。或いは道の脇の茂みが廃線跡でしょうか。いずれにせよ砂利道を上っていきますと。

 山の方に煙突。山の方と云うより山の中に煙突。場所が場所ですし、稼働している様子も見えませんので廃墟化した旧炭鉱施設の一部である可能性も高いです。面白くなってきました。このまま山の方へ向かうつもりで、ふと右側を見ると

 どうもこの先、なんかの工場敷地の一部になっているようですが、その一角に写真のモノが。幌内線廃止時にちょっとパチってそのまま置きっぱなしにしちゃったのでしょうか? 困ったことにこちら側にも「何かのニオイ」。どちらへ行くべきか、本当に困りました・・・すると

 何じゃありゃぁ? 件の有蓋車の遙か向こうにトンデモなく異物感漂う巨大構造物の姿。煙突ドコロの騒ぎじゃねぇよ。これは行かなきゃ一生後悔するでしょう。
 と言うワケで進路決定。向かうはあの巨大な鉄製の何か。しっかしすげぇよ、デカイ、デカ過ぎるよ。なんだよあれ?

 進路決定はよいのですが、あの巨大建造物のある方向、明らかにどっかの工場の敷地に侵入して近づくことになります。炭鉱はとうの昔に閉鎖されているとは云え、現在はまた別の工場の敷地なっているようです。進入の許可得るのめんどくせぇや。大体許可そのもの得られるかどうかもわからないし。(続く)