駅寝出来そな駅いっぱいの津軽線、蟹田から先後は転げ落ちるのみ

 津軽を旅しようと云うコトで、本来ならベタベタに太宰治津軽』でも片手にと云うのが関東圏に住まう田舎モンのセオリーというモノでしょうが、青森駅を過ぎてすぐにイー・モバイルの圏外になり青空文庫にアクセスできず、文豪の跡追い気取った旅は津軽の東の端っこを過ぎた辺りで敢えなく頓死と相成りました。

 この日、青森津軽地方は晴れのち曇りのお天気予報ではありましたが、弘前からこの方どんよりと空を覆う雲、降ると見せかけてお日様が出たりお日様が出たと思えばまた曇ったりと予報も予想も当てにならぬ気まぐれなお天気ときて、早々にお天道さんに過大な期待は止めにしました。まあどうせほとんどが屋根下の旅なわけだし。
 屋根下とは説明することもないですが所謂ノリ潰しとほぼ同意と取ってもらってよく、ああまたか、他にやることはないのか、よくも臆面もなく太宰治などと云ってくれたとの批判などは置いておいて、大事なことは一度津軽線に乗ってしまい蟹田を過ぎて三厩まで至ってしまうとそれはもう見事に盲腸線してる津軽線の性と一度乗って来た路線を来た通りにそのまま乗って帰るのが酷く恥ずかしい乗りテツの性の一致が帰る方策を著しく狭めてしまっているという事実で、太宰が『津軽』の外ヶ浜竜飛の条で書いた「あとは転げ落ちるだけ」とはまさにこのことを云うのだなぁとしきりに感心しながら背を海に向ける青森駅奥羽本線青い森鉄道線と同方角を向きながら唯一の単線、他の複線幹線を離れていくまるで孤児の如き津軽線の、にもかかわらず旅情とはほど遠い無粋なロングシートに背を埋めながら思ったのでした太宰間違ってもそんなこと書いてねぇけど。

 津軽線は途中まで青函トンネル方面の路線と共有すると聞いていたので蟹田まではてっきり複線で優等列車は行き交う、長蛇の貨物列車が出番まだかと駅で運転停車する、そんな幹線っぽい光景の中地域輸送をも担うという自負に満ちた堂々たる地方幹線の各駅停車の姿を想像していたのですが、実際は青森駅を出た時点で車内高齢化率80%は超えているだろうというお客様の面々、非常に他愛ないお話がほのぼのと広がる車内、車窓は当列車に覆い被さるように長大な貨物コンテナ、これじゃああんまりと反対側(西側)の車窓を眺めるとずーっと南の方から伸びてきてこのままずっと北、津軽半島の先っぽまで伸びている奥羽山脈のなれの果ての山々、麓まで田圃、畑、牧草地(?)、時々工場に家、決して荒野でない、豊かそうな、かつ長閑な景色。

 青森駅から蟹田駅までの間に4度ほど行き違い、優等列車待ちのために駅じゃない場所も含めて長期停車。津軽線ワンマン運転でなく車掌さんもちゃんとおりますので心強く安心なのです。

 安心と云えば蟹田までの間、「有人時代の駅舎がそのまま残っている」「吹雪に負けそうもない立派な簡易駅舎がある」「トイレのある」などの理由で駅寝に向きそうな駅が数駅(奥内駅後潟駅蓬田駅瀬辺地駅)確認、駅寝天国路線となりそうな予感もしますが夜確認したわけではありませんので実際の所夜間締めだしの可能性も高いのですのでこの記事など参考にせずご利用は計画的に。

 さていよいよ蟹田というあたりで路線はほぼ海岸線と重なり国道とも隣り合って進み、はっきり見えた海の向こうには同じ青森県であるはずの下北半島の姿。地図を見ると油川あたりから陸奥湾の海岸線とほぼ並行して走るようになっているのですが不思議と余り海岸線、海のイメージは抱きません。確かに海は視界の隅にまで見えて離れませんでしたが、私としてはその反対側の、私が住んでる埼玉からほんのすぐ先、栃木県あたりからずーっと伸びてきていて、今まさに本州の突き当たりで海に転がり落ちて仕舞いになろうとしている奥羽山脈のなれの果てのがここにあることの方がさぞ不思議に思えて目が離せず、また時たま海の方を見ても海岸と線路の間に薄く広がる沿線の町とか、その家々の姿とかの方に目が行ってここに至るまで海の姿が後回しだったのに気づいたので、海の向こうにあるのがまだ同じ県内という事に気づくのも大分遅くだったのでこれも大変不思議な気がして

 不思議不思議思っている内に到着した蟹田駅にこんなこじつけ看板で海外のどっかの都市と結びつけることに嘲笑より不思議さが先に来たのでそれは良かったのでしょう。

 蟹田駅では三厩方面乗り換えまで少し時間があります。

 綺麗で便座がよく暖まっているトイレを拝借して、駅内駅前くらいなら一瞬だけふらふらするくらいの時間は用意されています

 けどあんまり行動が怪しいと謎の戦隊ヒーローっぽいのに注意されます

 この決めポーズは何なんでしょう?

 ポーズとか以前にもはや名前の由来さえわかりません、のが大変不思議

 別に僕は太宰治でないので蟹田に来たからといって蟹を食えないとわめくような不作法はしません。そもそもが通過地でしかないのが正直遺憾ながら、情にほだされて逃すと次いつ来るかわからない三厩駅行きの列車と的確に捕らえておかねばならない義務に基づいて気動車に乗ることにします

 蟹は食えませんでしたが、その代わりに三厩行きのこの列車に乗ってやっと弁当にありつくことが出来ました。お弁当は弘前駅購入ですから購入して3時間ぶりにありつけたというワケです。同じく弘前のこちらはお城の目の前で購入しました小山せんべいのデザート付き。理由は弁当空に適した座席とここまで巡り会うことが出来なかったと云うことに他ならなかったからですが、やっと巡り会った列車が旧国鉄時代製造車両というのいったいどうなんでしょうか? 移動方法としての鉄道の衰退以前に駅弁文化が無くなってしまうわけです。

 蟹田を過ぎて外は随分と強い風が吹いているなぁとわかったのですが、うんうん唸りを挙げてを鉄路を突き進む重厚な旧型気動車にはそれをモノともしない安定性があります。おかげで三厩駅に降り立った時の風のハンパねぇ強さと言ったら想像を絶するモノがありました。

 青森駅とは全く違った、これもまさに終着駅の雰囲気に相応しい荒涼たる景色、そしてこの風、この肌触り、この匂いこそ戦場よ終着駅よ!!

 「すごい風だよ!」発車までの間駅舎で休んでいくのが習慣なのか運転手さんが入って来て駅員さんに話しかけてました。どうやらこの風の強さは地元でも尋常ではないらしい。尋常でないと言えばこの駅、ちゃんと駅員さんがいて切符を回収して到着発射時には手旗を振ってもちろん切符を販売して、と一通りの駅業務を担う昔ながらのホンモノの駅員さんが常駐している。青森から三厩までずっと車掌乗車、終着駅は駅員常駐、最果てのローカル線としてひどく大盤振る舞いな扱いの津軽線JR東日本は誰にも知られないように昔のまんまの体制に保護してるんじゃないか、そんな風にも思ったりしたが

 このやる気のない運賃表にそんなのがただの幻想だと気づきました。

 幻想と言えばまた出やがったコイツら。しかもさっきと名前違う、二体がデザイン被ってると手抜き過ぎ。これが最果て駅クオリティ? かく「僕たちをツッこんでね」と言わんばかりにご意見の募集などされたところで、例え掛かる映画の尽く上映前にアグネス・チャンが登場して「日本ユニセフ協会に寄付しましょう」などと言いたれるCMが掛かるのが大変な不愉快だと某シネコンに行く度に観た映画の数だけ投書していた自分と云えども、この件に関しては笑って流そう。パチ屋とか疑似人道主義団体とかのお情けに縋らなければいけないその業界の前途を思うととってもとっても悲しいんだよ、本当に。それにしてもマジ死んでくれよ、本当に。

 列車が行っちゃって、列車に到着に合わせたバスも行っちゃうともはや誰も来る理由のない最果ての駅、別に荷物置きっぱなしでも平気だろう、次のバスまで約2時間ほど駅周囲をウロウロしていよう、またもや間違いの元となりかねない行動は佐賀なので仕方がないとして、ビュウビュウ物凄い音を鳴らして吹きすさぶ風に段々と雨が混じって、10年近く振りに再訪した三厩駅駅舎入り口、撮影の最中横浜ナンバーの車が横を通り一瞬だけ停まって去っていった。あんまりにあんまりなんで車から降りなかったんでしょう、わかる。

 ふと横を向くと立ってる木々尽く斜め。ちょうど追い風なので歩くのがすごく楽で困った困った。

 こんな風の中何の目論見もなく三厩の街へ繰り出そうと思ったかと言えば若干そうではなく、確か数年前にJRの駅に置いてたフリーペーパーで松本英子先生が連載していて、その中で三厩駅のなんかの名物紹介をやっていたので、町の方へ行けばその三厩駅のなんかの名物があるんじゃないかと。当然のごとく憶えているのは「三厩駅」「松本英子先生」しか確実な事は解らない、「そのなんか」がすぐに食べられるものだったかも定かでなく、当然どこに置いているのかも定かでない。最果ての駅前のこのほとんど嵐の中それはリスキーすぎるかなぁ。

 駅前から続く坂道を降りきるとそこは三厩の市街地の外れで、中心部までまだ結構な距離のある様子。そういや太宰治は文句言いながら3時間ほど歩いたんだっけ? 

 もういい加減雨交じりが本格的な雨になって、もう嵐になるのはすぐそことわざわざ海に入らなくても体はずぶ濡れ

 いかな義経でも兜にフンドシじゃただの変態だろ、とのツッこみも虚しく芯から冷えてきそうな勢いの雨+風=嵐に

 手がかりの全くない「そのなんか」を探すのは断念しました。

 ほんのちょっとだけ途中にあった稲荷神社で休ませてもらったのですが、ほんのちょっとの間にこの雨風が治まるわけがありません。さっき追い風に押されながら戸と余裕こいて降りてきた坂道を今度は向かい風に抗いなら登ります、雨付きで。

 散々の体でようやくたどり着いた三厩駅は少しも変わらぬ姿。

 そして、駅待合に設えのストーブに火が点っているのに気づく。点けてくれたのは当然のごとく、駅内で唯一のあの駅員さんなのだろう。まもなく列車の到着時間、流石に自分一人のためにこのストーブに火が点されたと思うほど傲慢ではないが、段々と熱気を発していく昔ながらの暖房さんに、今しか感じ得ること出来ない最高の贅沢を噛みしめ、最果ての駅の駅員さんの事実上の心配りに涙が出るほど心を感謝の気持ちで充たしていると、赤い手旗を持って駅員さんが嵐のホームへ出て行く。今到着した列車を逃すともう竜飛まで歩いて行かなければならないのです。竜飛方面行きのバスは既に到着して駅入り口のすぐ側でお客を待っています。今付いた列車から降りてきた客のほとんどがそのままバスに乗り換えていきました。私もその後についてバスに乗りました。三厩駅、良いとこでした。