平成23年度相馬野馬追 2日目 於相馬市・南相馬市

 続いて2日目です。

 本来なら祭りの2日目、南相馬市原町区内、雲雀ヶ原で行われる催事が相馬野馬追における最大の行事だそうで、その勇壮さはまさに相馬野馬追を相馬野馬追たらしめる行事と言えるらしいのですが、本年はそれら行事一切は中止。
 本来の会場で騎馬にて集結するはずだった雲雀ヶ原のちょっと南に行った場所にある相馬太田神社境内にて、本来この日の行事を中心となって取り仕切るはずだった原町地区一帯、中ノ郷地区の武者達が集まり「例大祭斎行」の神事を執り行うそうです。

 前日大遅刻の反省に本日はちょっと早めに行くことにしましたところ、

 まだお準備の最中、お陰様でバイク置き場1番目、今回の神事、噂によるとなるべく地元以外の観光客はご遠慮いただいて、と云うコンセプトだったらしいのですが、地元民でもないのに申し訳ありません。

 ここで会場の相馬太田神社境内をちょこっと説明します。と言っても全てどっかからのつまみ食い引用ですが悪しからず。当社境内、まず表参道真っ正面、石段の高台を登り切った場所にある、相馬氏代々の氏神*1妙見さま(天御中主尊)をお奉りする本社に、その東側、やはり高台上に築かれていますが、高さにすると妙見さまのお社より高さ半分ほどの高台、そちらに奉られているのは武家全体の守り神である八幡神さまをお祭りする神社。扱いとしては「摂社末社」に当たりますが規模としてはこの一社でそこらの神社の本社を張れる程度の規模があり、武家としては日本有数の伝統を誇る相馬家の守りをこの場に集めたが如くの配置。この地は後に海道にその名を轟かせた陸奥相馬家が、遠く坂東下総国の故地より遙々やってきて初めて城を構えた発祥の地で、近くには陸奥相馬家初代相馬重胤の墓所もあり、千年に渡ってこの地を治めた相馬氏の特別な地であること誰語らずとも教えてくれます。現在田圃中に島の如きの高台に立つこのお社もかつては手に入れて間もない小さな領地を外敵から守備する城砦の一つだったのかもしれません。民謡「相馬流れ山」は現在純粋に野馬追の勇壮さを讃える歌となっていますが、かつては始祖重胤公一行が故郷下総を追われて行方郡(現南相馬一帯)への逃避行において故郷を偲んで歌った謡いがルーツとの伝説があります。未開の新地を切り開くに先達が辿った労苦の記憶は、後世諸侯の席に列する相馬家といえど決して忘れ得ぬ記憶であるのです。この場所、まさに今回の鎮魂相馬野馬追神事に相応しい場所ではないでしょうか。

 祭事が行われるのは一番高所の妙見さま本殿拝殿前でですが、始まるまでの待機、その後の直食は少し下がった八幡さま前が会場です。「お馬は?お馬は?」いつものお祭りと同様にお馬さんの登場を期待するちび武者にお馬の出ないことを教える声、祭り前お先に八幡さまへのご挨拶をする武者さま。参加の武者さまはちび大人区別無くみな趣向を凝らした陣羽織を羽織り、相互いに相双のお国言葉でくつろぐ様子、例年なら祭りの裏方の決して目立たない風景なのかもしれませんが、このようなお祭りだから目立ち、そして気になる。参加者以外の見物の方々もその様子からほとんどが地元民と思われ、このような場所で部外者がいること少し憚られる気もします。その後、「なんだか始まったらしい」と云う雰囲気と共に陣羽織武者移動開始。皆さん八幡神社の前から高所にある太田神社本殿前へ。陣羽織の後をそのご家族さんらしい人達が付いていく中その更に後ろを私も何となく付いていく。

 始まりは法螺の声。その後ここでも欠かせない追悼の黙祷、その後祭事のため陣羽織武者の一部が神社拝殿へ入っていきます。陣羽織さま方のウチでも拝殿まで入るコトの出来るのは半分くらいで、単純に経験年数の違いでしょうが、拝殿に上がれない下位クラス(?)は拝殿前で待機。以後、祭事は拝殿の中で行われますので中で何が行われているのか何となくしかわかりません。拝殿の中へは先達武者の他にプレスな皆さんが許可得てんのか得てないのかわかりませんがどかどか上がっていって尋常でないアングルを確保していてああアレが報道屋の押しの強さかと感心しながら、しかし祭事とはいえこの炎天下ずっとこのままで待つのはキツいなと

 当初は拝殿下組の武者様方の正面、見物人の皆様方作った人集りにさも地元のモノでございという風に一緒に立って待っていた。拝殿見ると最後列の武者さま方に取材のため落ち着かない報道屋さんの尻、正面炎天下に陣羽織の武者さま方。暑い中ほとんど微動だにしないところに感心。私は基本的に落ち着かない人なのと体力無いのとで大体祭事の中盤過ぎくらいでその見物人の人垣を脱落しまして、まあ位置変えてみれば中の祭事の様子がわかるんじゃないかとそんな意図もあったのですが

 拝殿内見事に見えず、仕方なく日陰探しながら

 各社殿に多々あるお馬さんの意匠を探して歩くことに

 色つき

 こちらは額殿・神馬殿のお馬さん方

 神馬のおとなりにはお蚕さん奉納。養蚕・製糸と云う産業がかつての日本の主産業であったことなど信じられません。

 場所代わって

 裏の小さな摂末社にはブタさん。意味はよくわかりませんがともかく、金色です。

 ぐるっと回って、先程から武者さま方がじっと突っ立ってる辺り、こちらから拝殿眺めるとやはりお馬。先程もありましたがこの親子お馬の浮き彫りとか奉納額とか、よいですね。仔馬がカワイイ、と云うだけでなく次代次代に継いでいくお馬乗りの心意気を静かに現しているようで。それにしても動物の意匠はいつどこで見ても愉しい気分にさせてくれます。

 ダメな私はてきとーに日陰に入ったりしているので平気ですが、武者さま方、本当にご苦労様です。

 どうやら祭事終わりの柏手らしく、その後拝殿内のお偉い武者さま方がぞろぞろと御退場

 その後に炎天下武者さまがご退場。このように伝統継ぐべく鍛えられるのかと私には絶対理解できない体育会系な儀式の有り様に再び感心。

 感心と云えば皆々様各々設えの陣羽織、珍走服とどう違うとか言うなかれ。用途は確かに似たようなモノですが・・・、まあ、時間があればもっと色々見比べたかったんですけど。話によると今回の相馬野馬追開催の危ぶまれた理由の一つにこの衣装、鎧兜に陣羽織の装束一式、この日のために設え代々用意されたもの、新たに設えたもの、それらが津波によって流されてしまったため参加を断念した方も多いとのこと。この後武者さま方は一段下りた八幡さま前にご用意の宴席で直会と相成ります。

 武者さま方去りあそばせた拝殿では〆のお神楽舞。武者達が去った後で密やかにしめやかに、と云う雰囲気ではなく祭事終わってほっとした武者連中が談笑しながら去っていく、待ちくたびれて痺れ切らしたお子様が騒ぐ、祭事中拝殿中を見れんかった連中がよじ登って中覗く、等々祭事の〆にしては結構な混沌の中にただひたすらに神への捧げ舞、好まし。

 私自身はこの時点で祭り見物終了。まだ喧噪止まない境内を後にして、次に何やろうかと思案しながらとりあえず線量計見るととてもな値。悲しいことに、やはりギリギリの状況で行われている祭事なのです。

 帰り道、本来ならば馬と人とで沸き返っているはずの雲雀ヶ原野馬追会場へ寄ってみました

 なんか言葉に出せば間違いなく涙と共に出てくるだろうから敢えて何も言いたくありませんが、ただ一言だけ、私も

 「来年こそ相馬野馬追を」 sans-tetes

*1:相馬氏の祖先神としての氏神平将門神さまです! お忘れ無く!