平成23年度相馬野馬追 1日目 於相馬市・南相馬市

 別に深い縁のあるわけでもないのですが、今回初めて相馬野馬追のお祭りを見に行ったのは、ただ単純に「今見なければいけない」と思ったからでした。お仕事上でこのこの行動力があれば良いんでしょうが、性分はそう簡単に変えられませんので、せめてハレとケの壁が取り払われて深刻な躁鬱病に悩まされないように注意します、今後。

 平成23年度相馬野馬追予定表(pdf)http://www6.ocn.ne.jp/~nomaoi/2011/2011schedule.pdf

 予定表をご覧になればお分かりの通り、行事メインと云える2日目の「甲冑競馬」「神旗争奪」、野馬追元来の姿といわれる3日目の「野馬懸」の行事は無く、中心となる3神社での神事が中心の、言わば「動」より「静」が中心の内容となっています。そんな中で初日相馬市内で行われる甲冑武者の「お行列」は数少ない「動」に属する行事で数少ない「動」を伴う催し事と云うコトでどうしても見逃せない、はずでしたがいつもの如くダメ全開に寝坊しておまけに途中で予定変更、職場に寝袋を取りに行って、福島飯坂インター下りて中村街道相馬行道中、霊山町霊山下こどもの村近くの食堂兼アイス屋にいたネコにかまけてたら案の定相馬市内到着は昼過ぎ、午前中の市内お行列行事はモノの見事に外れてしまいました

 中村街道霊山下のアイス屋と云えば検索すると上位にヒットするアイス屋さんが有名、と云うかほぼ鉄板らしいのですが、多分ねこはいないだろうから次来る時も恐らくきっと確実にこちらの食堂さんでアイス食います。食堂に入り口で街道に尻向けて寝転んでてこちらがカメラを向けていると中のおばあちゃんが気を使って外に追い出してくれるこのネコ、この近くで誰かに置いて行かれてそのまま居着いてるそうな。

 お話し野馬追に戻ります。初日午後の行事は「お上がり」と云って午前中市内を練り歩いた相馬野総大将初めとした武者達が祭りの報告をするため相馬中村藩の本城にして相馬氏代々が信仰する妙見さまをお祭りする相馬中村神社へ隊列を組んで向かうと云う行事です、たぶん*1
 中村神社が目的地なのはわかりますが出発地が何故かイオン相馬店の駐車場になっています。どうして岡田屋の支店の裏庭が麻生太郎と縁戚に当たる相馬家と縁深い祭りの会場の一つになるのかよくわかりません。半信半疑のままイオン相馬店に向かうと駐車場入り口渋滞状態、間違いはないようです。

 イオンの奥の方の駐車場、確かに人集りでその向こうで色々準備中のお馬さんに武者様に

 何が気にくわないのかきかん気の強いお馬さんもいてぐるぐる回されたり水かけられてたりしてと、特にこのお馬さんなかなか治まらずとうとう足首を痛めてしまっていました可哀想に。今回の野馬追、参加者の皆さんと同様におウマのみなさんも色々と思うこと多いのでしょうか。

 「お上がり」の出発、てっきり武者一堂に会して鬨の声でも上げた後整然粛々と列を為して行くモノと思っていたのですが、なんか個々バラバラに駐車場を出て行って気付いたらトリっぽい人(最後は武者ではなく神事を司る巫女さんのようでした)が出て行って後見物人が引いていくのを見て少しあっけにとられましたが、引いていく見物人が何処へ向かうのか様子を窺うとほとんど皆相馬中村神社の方へ向かって行く用なので私もそうすることにしました。

 どこで待てばいいのか初心者の私は皆目見当も付きませんでしたが、折から降り始めた雨が段々と強まってきたので自然屋根のある場所を訪ねた結果気が付くと中村城大手門の下に。更に騎馬武者が通る時危ないと云うことで行列が近づくに伴ってその場所も負け出て結局大手門から少し進んだ場所に。

 そして大手門から次々と騎馬武者登場

 本格的な武者の装束はまさに見ものですが、武者についてまわる幟の多彩さも魅せてくれます。
 時々門潜った直後に興奮し出す馬がいて、武者の手綱捌きで落ち着かせたり、そのままなんか斜めに進んだり、感心しつつも面白くもあり

 御輿。本当の主役。

 そして扇の馬印と共に赤い母衣背負って総大将登場

 その後に深い意味は知らないけど御幣を背負った馬が多分最後と思われ、実際列途切れて後

 見物人も列に並んで「お上がり」目的地、中村神社までダッシュ! 周囲(下々)のこの行動、多分物凄くイレギュラーな静粛な神事に似つかわしくない出来事なんでしょうが、なんか面白くて私もつられ、そしてお行列を先回り。

 中には一旦退場するお馬の前を横切ってしまう不届きモノがいて武者の一人に物凄い剣幕で怒られてまして。その武者さまの口調が完全に武士口調でそのなり切り振りが面白し、一方で嘗て存在した身分秩序の重さを体現できる数少ない場として存在する相馬野馬追と云う軍事教練の一面を垣間見

 なんて思っていると神社石段手前で黒山の人集り。何かと思ったら馬を下りた総大将(相馬家世子)を取り囲んで撮影会。「殿様こっち向いて!」とか声が聞こえる。相馬の殿様(本当は次代の殿様)・・・。

 その後武者一堂中村神社前に会して式、直会と本日の行事の流れ、神前に無事の報告を告げる大切な行事のはずですが、総大将既に着席してるにも関わらず若い武者の集まりがすごく悪い。遂には仕切り役の武者の一人がキレて怒鳴る、なんだかグダグダ間も漂い締まり無いなあと思いながら、武者勢揃いして法螺の音で儀式の始まりを告げて

 総大将より無事を労い嘉する辞、そして今回祭りの主目的となってしまった震災犠牲者を悼む儀。

 私は相馬地域と縁もゆかりもないただの観光客だけど、この祭りのあり方を余所から眺めるにやはり奇異に映るのが殿様の存在。今でも一部住民に殿様として尊敬している人がいること、未だにその殿様が祭りの中心にいること、その意味をよく知る層とそもそもその意識の希薄な層との世代間乖離、意識できていない層も年を重ねるにつれてやがてはその意識を得るようになるのか、そのために千年続けてきた祭りを途絶えさせない前提としてまず地域に産業と人の暮らしのあり続けること、長い黙祷の中で思い浮かんだのはこの場所にいる全ての人が共有した震災犠牲者を悼む気持ち、復興への単純な希望、そして思ったのが「お祭りを千年続ける」ための背景だったりします。戦国時代、性格破綻してトチ狂った目っかちDQNに率いられた伊達軍によって相馬領が蹂躙の危機に晒された時、領内士分は元より民百姓に至るまで最後の戦いに参加しようとした気概、確かに大げさなエピソードではなさそうだとこの何者にも帰属することを極端に嫌うボヘミアン体質の自分にも知らしめる、やっぱこの祭事、エライ祭りです。

*1:ガイドブック・文献等当たって調べたワケでなく行事に接して見てみた「こういうことだろう」という自分の予想ですが多分間違っていないと思います