初のお伏見お稲荷さま

 「京都」の次が「東福寺」でその次が「稲荷」、二つ跳んで「六地蔵」、その次の次が「黄檗」と来て「宇治」、奈良線の駅名はすごいなと感心していると「稲荷」駅へはすぐに着きます。

 駅舎が稲荷調だとか本当に目の前すぐ稲荷だ云々より何故かある駅名表示が錆び付いたままになっているのに感心した稲荷駅

 駅出ると道路挟んで口に稲穂、尻尾に宝珠を載せたままぴょんしてるすごく芸達者のキツネさんがお出迎えの伏見稲荷大社の鳥居、これから先万に迫ろうかという幾数多のお鳥居さんを潜ること慮り初大社の緊張も相まって、本来気高くも魔性を帯び凡人その尾の一毛にさえ触れ難し神獣の一見陽気に見える此陽気にあらず妖気と神性の衣なのかと思い直した時には

 既に鳥居を離れて楼門前。

丁度拝殿の方から発する逆光がひどくまぶしいですまぶしいものにはとりあえずあやまりますごめんなさい。

 秋の弱りかけのお日様がやっとこさ昇りかけた時分故境内まだそんなに踏み散らかっていない砂利の好ましく、楼門前の狛狐さんは意外と普通の造形であったのもまた好まし。

 好ましいと言えば閉門の機会なしの本社、朝からぼちぼちの御参拝。それに合わせてか参道脇の仲見世も既にご商売始めている様子。お稲荷様門前仲見世の品揃い豊富さは各地お稲荷(笠間さん等)の例や参考文献*1によって知っておりましたので最大最強の伏見大社にはどのようなお品供物がお並び遊ばすか、是非ともこの目で見たかったのですがそこは既に参道大道を一直線に拝殿へ向かっている身、この一本道を外れるのはうかたま女神様への冒涜に等しいと敢えて無欲を装い楼門をくぐることにしましたとさ。結果的に例の巳ーさん(大)を見る機会を失ってしまったわけですが、やはり人たるもの常に欲に忠実でなければいけないと夜の一人反省会で侘びしく鰊ソバのニシン囓りながら思ったのはまた別のお話です。

 拝殿覗くとシーズンということで七五三の神事の最中。子供いない家族いない身内疎遠友達いないのないない尽くしの自分としてはたぶん今後当事者はおろか身近にあることはないであろう喜ばしき神事を、他人の結婚式に紛れ込むような心持ちでしばらく眺めている。

 本気を出せば京都中の適齢期家族で奈良線京都東福寺間車中を凌駕する混雑を来すであろう御拝殿もまだまだ朝も早いうちということで比較的のんびりと、それにつられてのんびりとお参りしていると次々と他の一般参拝客がお賽銭投げて柏手打って手を合わせてと横を通り過ぎていきます。

 私はと言えば、弱点の動物意匠萌えにやられてそれこそヨダレでも垂らすような勢いで境内のおキツネの、やれあれは見たことある、あれは目付きが鋭く険しいのがツボだ、拝殿のは色付いてけつかる鳳凰さんまでおる等々

 散々悪態(?)を付きながら気づくと拝殿裏の岩山だか山だか(何故か説明の立て札読み忘れたので詳細知らない)突き当たった所に迷い込み、なんとなしに見上げれば

 紅葉の見頃と知り、

 見頃につられて段々を上ると

 摂社、とは云えその一社だけで他所なら本殿を張れそうな立派な摂社がぼちぼちと数を増やし

 その先

 やはり、

 千本鳥居には「いつの間にか着いていた」風な態度でたどり着いた方が味がある。

*1:

荒呼吸(3) (ワイドKC モーニング)

荒呼吸(3) (ワイドKC モーニング)