ひみつのきたぐに

 まさか一年後に無くなろうとは思いませんから、単に京都駅から北陸北国金沢まで・・・正確には能登半島半ばまで、如何に時間のロス無くたどり着くことができるか、その手段を夜行列車に求めたことは人として当然の選択だといえましょう。人として。

 手元に乗車時のメモ書きも資料も無いので代わりに偶々手元にあった1988年3月交通公社版の時刻表で急行「きたぐに」が京都駅何時に出発するか調べてみましょうなんでやねん。

 いささか乱暴な調べ方ですが参考までに当時の・・・こちらの当時というのは1988年3月のことです、「きたぐに」京都発24:03となっておりますのでそう云われてみれば当時も・・・こちらの当時は実際に「きたぐに」に乗った時のことですああややこしい、そんな中途半端なお時間だった気がします大阪発新潟行き急行「きたぐに」京都発着時間。

 この日は日中お伏見さんに詣でたり晴明さんに詣でたり将門さんに詣でたりいろいろ詣でのよい日和で御座いましたがさて日も暮れて、これから後どうしようかと思いながら京都駅にたどり着くと外にはぼうっと頼り気無きライトアップが特徴的な京都タワー、誘われrままに展望台からそんなに遠くないところぼうっとほのかな明かりが映える清水の舞台の方、聞けば清水寺と紅葉を様子を光で照らしているとのこと。何もそこまでしなくとも良さそうなとも思いながらそれは東戎のお登りさん故、或いはとても天井が高いせいかとても寒々とした京都駅で24時過ぎまでただ何となく待つのが耐えられなくて清水寺行きのシャトルバスに乗っておりました。

 清水の舞台は夜行っても清水の舞台ですが、夜の清水坂は夜行かなければわからない夜の清水坂で私的には夜そこに行ってみなければわからないどこのお店もやってないただ坂をだらだら下っていく清水坂の印象に想うこと多かったのでしたが。

 さてそれでも時間が余る「きたぐに」京都駅での発車時間です。仕方がないので駅構内に入ってだらだらと師走近い京都駅の喧噪でも眺めていようかと切符を取り出してみるとそう云えば0時過ぎの発車なのですから本日中は切符の入場有効でないこと気付きましてさてどうするか、文句を言おうにも京都本場いけずの駅員さんに刃向かえるほど口の達者でない東戎故思案に困る様は葵祭に向かう頼光四天王の如くとまさか牛車で改札口突っ込むわけにもいかず、ここは田舎者丸出しで正直に駅員様に訳を述べようと覚悟を決めて伺ったところ変な小汚い紙切れに判子を押した「構内入場証明書」を呉れて事なきを得ました。世の諸人、自分は全く伝統や面白味を理解しない東京者(実は埼玉者)だからといって京都駅で臆することはありませんよと云う戒めです。世の東戎共へ。

 長距離列車はどうせ隔離されたようにわけわかんねえ場所にあるあの0番ホームの発着だろうとヤマを張ったら当たり前の如く当たってそのホームのやはりわけわかんねえわかりにくい場所にある待合で京都の寒い風を凌いでいるとぱらぱらと、同じく長距離列車待ちらしい乗客が集まり出します。この時間にこのホームの待合で待っているのですから皆さんおそらく同じような「きたぐに」待ちか或いはコジキでしょう、同じような。

 そうこうしているウチに入ってきました0番線。うわぁ、583系じゃんかよ!

 白状しますが私、この時点まで急行「きたぐに」がどんな車両でどんな編成で来るのか全く調べて無く知識無く理解無く、まさかこの古老が関西から遙か北の方まで運んでくれるとはつゆ知らず、何故なら私京都から北陸方面へ行くのに「夜行列車」と云う手段を全く疑問を待たず他の選択など初めから考慮せず選んだため、どんな車両が来るかなどとはどーでもよいコトで、更には「夜行だから」と余り考えずにいつもの寝台「特急」感覚で座席指定「B寝台」を選択してしまいよく考えれば24時頃出て朝4時前に着くのに寝台だと全く落ち着かん、無駄だと云うことに気付き指定を「B寝台」から「指定席」へ、実は「きたぐに」指定席=グリーン車で編成中半分くらい自由席でついでの機会にとひょいと自由席を覗くとガラガラの一人四席一箱占拠状態、やっちまった感がじわじわ来たというかというと意外とそうでもなくもうそのときは昔から大好きで大好きだったにもかかわらず遂に定期寝台特急としての列車に乗ること能わなかった583系に夜行列車として乗れる嬉しさとグリーン扱いの席に座れるほんのちょっとの優越感でわくわく、肌身にしみる京都の寒さも忘れてしまった、と云うのが本音と書けば可愛げのあるモンでしょうが、本当の実際は疲れて眠くて583が入ってきた時には一瞬高揚したモノの後はさっさと席確保して寝ちまおうと眠気が興味を凌駕して意識失うまでそんなにかからなかったというのが真相です。寝台特急との違いとかグリーンとか座席寝台の選定とかなんとかニワカを誤魔化すためになんか普段から良い座席に乗ってんなとかの自慢では決して無く、あくまでも時刻表に記載されている優等夜行列車に白抜きの星座席と黒塗りの星座席の違いがはっきり記載されていた頃のお話です。

 ともあれ、とにかく俺は眠いんだ眠らせてくれと半呆けの余り気付くとすでに金沢でした、それはもうあっという間の出来事です。流石夜行列車。

 問題は目的地能登半島方面へ向かう列車がおよそ一時間後と云うことではあるのですが

 そこは夜行列車設定時の金沢駅、「きたぐに」が行ってしまったからと云ってほなさいならとばかりに駅構内から排除されるようなことはなく、ホームも待合も改札もすべて解放。

 よって待合で寝ても誰も何も言わない

 誰も何も言わないけど私が寝た待合室は偶々というか必然というか中にカフェ併設の形でまあこんな早くから開いてないだろうと高を括って横になった座席はカフェの丸椅子でした。あのくるくる回るヤツ。

 横になってしばらくするとなにやら周りでごそごそと動く音がする。ははあ、さては七尾方面列車到着を見計らって同方面へ向かう乗客がやってきたかとやはり夜行設定の駅はこんな早くても自由に改札入れて便利だなと寝ぼけ眼に思いながらそろそろ列車も来る時間だろとその寝ぼけた眼を開けてみると

 その周りでごそごそやっていたのはよくある必然性のない制服を着たカフェのねーちゃん店員でした。何のことはない開店の準備をしようにも怪しい客がくるくる回る椅子に寝ているので用意をしようにもできないだけだったのです。本当にすごくごめんなさい。

 通りで同じく「きたぐに」から降りて待っていた乗客は早々に向こう側の店舗と関係ない椅子を陣取って横になっていたのかと、ここでもニワカとヒトとして痴態を晒してしまったわけですが、広い意味で「駅寝」に当たらないでもないこの行為、カウントするなら今までで一番大きな駅での駅寝体験です。全く持ってどーでも良い且つはた迷惑な話ですが

 必然性のない制服を着たね-ちゃんに顔を合わせるのが恥ずかしいのでうつむきながら早々に荷物をまとめてやはりうつむき加減にホームへ上ると良い具合に能登半島方面七尾線七尾行き列車が到着しています。例の、車体にただ適当にペンキをぶっかけただけの如き単一色国鉄型近郊列車はJR西日本金沢支社の宝です。

 そんな宝に抱かれてあっという間に列車は七尾へ。日の出も気付かず

 気付いたのはゴミ箱にゆるキャラのお出迎え。右が「のとドン」左が「わくたまくん」そして真ん中が確か「良寛くん」だったかなんだか。真ん中だけが「確か」で確かでないのは現在ネットで調べてもこのキャラが出てこないからです。何やらかしたんだ良寛くん(仮)

 そんなことは先を急ぐ身には殆どどーでもよく、路線をのと鉄道に変えてさらに北へ


 車窓能登湾、朝日に照らされて靄が立ち

 どー贔屓目に見ても営業努力を怠ったために路線を短縮したとした思えないのと鉄道七尾線に内心腹を立てながら一方で古い駅舎の残る好ましさを堪能しながら

 思い立って穴水より一つ手前、能登鹿島駅で降りてみよう

 云うまでもなく、春の頃訪れるに盛りを迎える当駅なのですが、秋の頃、嘗て網野善彦氏が「豊か」と評した能登の一端を垣間見られればとふと思い立ったからで、決して次回来訪のために駅寝に適するか下見をするためでは決して御座いません。