鎌倉行、拾遺

極楽寺を過ぎて、七里ヶ浜方面に向かう。江ノ島電車にほぼ沿う形で坂を下り、やがて海岸に至る。
右手に線路を挟んで山が迫り、左手からは潮が香る道すがら、ある家の壁に「石材屋」「極楽寺葬儀社」の文字。その家一つでで二つの生業を持つのかどうかはわからない。いずれにしてもあまり大きな建物ではなく、こぢんまりとした佇まい。かつては極楽寺の檀家を初め、極楽寺七里ヶ浜一帯の祭事一切を取り仕切っていたのだろう。かつてと言ってもそんなに遠くない昔に。
かつての村の名残として現在「字」という地名が残る。日々の生活が村の中だけで賄われ、たまに、隣村、更に今の駅で三つ四つほど向こうの町に行く程度で用事は賄えた。個々の人の動きが、人生が、そんなに大きくないサイクルで回っていた。それで十分だった、「極楽寺葬儀社」はそんな時代の名残だろう。
浜に出る、遠くに江ノ島を望みながら後は浜沿いを延々と歩く。荒れ模様だった風と波は幾らか収まり、曇り模様の浜には多くの人々が集まっている。そのほとんどがサーファーたち。市内でも雨が上がった頃から自転車にボードを引っかけた年齢様々の人が山の方から海の方に向かっていったのと多く行き会う。彼の人達はおそらく人生のほとんどをこれに費やすことのためにここらに住んでいるのだろう。好きなモノのために人生の多くを費やすこと、素晴らしく大いに尊敬できることである。もしも、日々の生業を周辺で賄うことまでできるのであれば、動きとしてムカシの人とあまり変わらない様に見える。ところが互いをよく見ると、実は全く似て非なるものであることがよくわかる。サーファーさん達はそれを選び、運良く選ばれた人。「物理的にも観念的にも、精神・知的世界においてさえ広くなりすぎた世界」で「動かなくてもよい生活」を営むことのなんと贅沢なことか。
海岸で少し歳の行ったおじさん・おばさんが、良い波を見極めようと沖を見つめるサーファーの傍らで、波に打ち上げられた海藻を拾う。サーファー達に比べるまでもなく今ではほんの僅かばかり、昔から繰り返された光景なのだろう。「嵐が過ぎたら海岸へ」。不思議なことに、ここではその意味を変えて、今後も受け継がれていく。