大野一雄 ひとりごとのように

毎度の事ながら、やはりドキュメンタリーは見る人を選ぶのでしょう。映画の日にも関わらず場内はスカスカ。もったいない・・・。こんな素晴らしい事実に巡り会えるなんて滅多にないぞ。またもや最初に言ってしまったが。まあ、今回の映画の日は人混みに揉まれず、ストレスなく過ごせました。

肝心の映画。
日本の至宝とも言うべき老舞踏家、大野一雄さんの「最後の公演」と言われた2000年〜2001年の舞台とその前後の様子を稽古を中心に追っていく話。
映画は、息子さんである大野慶人さんが生徒さんに教えている稽古場から始まる。静かに、一言一言が印象深い言葉を持って舞踏を教える慶人さんの背後・・・カメラが追う先に、直接、触れることはなく、稽古場の空気を造り出している「装置」のように、ずり落ちそうになりそうなほど椅子に浅く腰掛け、上半身でもって絶えず表現し続けている大野一雄さんが登場する。作中、一雄さんは言葉をほとんど発しない。冒頭のこのシーンでも同様に。舞う、舞う、ひたすら舞う。ひたすら舞う大野一雄さんを、撮り手は全く批評・感情を入れ込まずただひたすら撮る。ただ、自分の思うまま、言葉を話す代わりに、歩く代わりに、食事をする代わりに、周囲を意識しているのか、映像からは察せられないが、とにかく生活のすべてを舞うことで表現する一雄さんを、カメラはただ撮り続ける。そのひたむきな姿が、いつの間にか感動に繋がる。静かに、少しずつ。
歳を得た人間は、その脳に刻まれた記憶・習慣さえも少しずつ削られていき、やがて、脳の中心部の最も深くに刻みつけられた人生の記憶を元に、そのとき出来うる最大限の能力をもって増幅し、再現するようになる。一雄さんは現在100歳を越え、終日ベットに横たえながら介護をされる身になっているという。そんな一雄さんは今、どのような目で舞ってうだろう?
恐らくはその体の内部で今でも常に舞い続け、生ある限りその体でもって何かを、人生を表現し続けている、この映画から得た、想像。

最後に、作中、常に父の影に徹していた大野慶人さんも良い。やはり素晴らしい舞踏家。