佐川一政『業火』

sans-tetes2007-04-05

本を読み、その感想を述べる時、読んだ直後の気分、所謂「読了感」と言うものを重視している人も多くいると思う。とてつもない量の読書量を誇る賢人となると、そんなもの感じる暇などないほど読書に没頭するかもしれないが、私のようにそんなに読書量が多いわけではなく、蝸牛の歩みの如くゆっくりとしか本を楽しめない凡人にとって「読了感」というのはしばしば重要な区切りとなる。ある時は非常なる現実と今自らのみが演じる仮の現実との境目を探すこととなったり、ある時は書の中に魂を落としたが如く、未だ夢から醒めえぬが如き形容しがたい感覚から抜けきれず、またある時はただただ冗舌にしか過ぎない著者の言葉から逃れることのみを考えた開放感・・・。いずれも凡人にだけに許された、或いは無駄な道楽なのかもしれない。
さて、件の本。その読了感かと言えば、はっきり言って「最悪の後味」・・・。ある意味この著者の著作としての期待を全く裏切らない、佐川さんの佐川さんたる由縁が存分に発揮された名著。
主人公は「佐川家の人々」である。最も世間にインパクトを与え、自分のみならず一家全員の運命を変えた佐川さん自身はどちらかというと脇役である。所謂人肉食の描写は出てこない。事件そのものについてはほとんど触れられず、その時点を時間軸の中心としてその前と後とのそれぞれの人生を展開させるための、一家にとっての「グラウンド・ゼロ」としての位置付けのみに止まる。
この一家が、おそらく出来る限りのすべての愛情を持って慈しみ育てられた佐川君は、出来る限りの忘恩をもって一家に返す。「父親の脳梗塞」「母親の精神病」「弟の心因性喘息」。それらは代償のほんの一部でしかすぎない。何よりも深く、悲しみと絶望の淵にたたき落とされた一家が、他でもないたたき落とした当事者によって、見ようによってはあたかも他人事のように、なおかつ絶妙な筆遣いでもって描かれている、そんな本である。
ただし佐川君は決して家族の愛情に気づいてないわけでない。自分自身、家族に対するあふれんばかりの愛情を述べる箇所は随所に登場する。だからこそ・・・。
「あなたは自己愛から対象愛に成長できていない。それがそのように自分勝手な考えをする原因だ」フランスの精神科病院での「美しい」女医が佐川君に下した診断の一つ。一方で本書の内容をも表している。そして、何よりも「最悪の読了感」を私に与えたのはこの言葉に他ならない。いくつも海を越えた世界の遙か向こう、佐川さんの表現が的確なら、私も間違いなく虜となっているであろう黒髪のフランス人女は、会ったこともない私に対しても佐川君を通じて的確な診断を下した。
・・・私は佐川君と同じ種類の人間である。

冒頭の写真、ロフトプラスワンで行われたこの本のイベントで、佐川さんと握手をした後、サインをしてもらった本を手に佐川さんと並んで写る私。何故か、佐川さんより鈴木邦男さんにサインをもらったときの方が緊張したな。