『それでもボクはやってない』

観たのは少し前ですが。

話題になった映画ではあるし、このブログを見ている人はたぶん内容知った上でここに来てると思うんで詳しい内容は端折ります。見所は主人公が巻き込まれたとんでもない不条理・・・その「運が悪い」とか、「悪意を持った人間に関わった」とか、そういう問題でなくて、「司法」「警察」更に「国家」といったついさっきまで自分の味方をしてくれる為に存在していると信じて疑わなかった「社会のシステム」すべてが一瞬のうちにすべてが敵として作用する、我々が住んでいる世界をほんの少し踏み外すとこんなに不条理な道筋が待ってるんですよ、例え踏み外したのが「手違い」だったとしても・・・という「ほぼ事実」。

この映画を観る上で大変参考になる図書を紹介。『おかしいぞ!警察 検察 裁判所(創出版)』大分前に出た本ですが。
内容は、そのまんまです。映画に登場する所謂「公僕」と言われる警察官・判事・裁判官がどうしてかくもこう主人公にとって不利益な存在となっているのか(裁判官については作中の主任弁護士のセリフで少し語られていたが)がよくわかる。本来なら「個々の事例」に沿って臨機応変に対応しなければいけない、良きにつけ悪きにつけいわば最大限に人間としての判断力を強く発揮しなければいけないはずの「逮捕」「起訴」「裁判」の流れが、非常に硬直した官僚組織の中の流れを重視して運用されている現実。作中に出てくる「警察官」「検事」「裁判官」はそれら組織の最前線で極めて組織が円滑に運用するよう忠実に動いている先兵に過ぎないことがよくわかる。作中でもしばしば表現されていたが、個々の先兵に「悪意」を持って業務を遂行する者は一人もいない。それこそがこの国に住む国民の置かれている危うい現実であり、制度的に疲弊した国家としての現実でもある。現実なんですよ。
先程の図書にはもっと真っ黒な根深い警察・検察の組織犯罪についても詳しく触れられているが、映画とは離れてしまうので。
で、更なる問題は、国民としての義務を果たしている我々が置かれているこのような現状を知る為の情報が、新聞・テレビ等のより多くの人々が触れる機会のあるメディアではなく「少し堅めで取っつき難いかもしれない映画」とか「左側向いたマイナー出版社の出した本」でしか得られないということ・・・。

いろんなモノに触れる機会がなければ何も考えられず、選べず、思考停止したまま一方的に人の考えを押しつけられて終わりだぞ。人間世界で最も贅沢なモノの一つ、「考える自由」を自分から放棄してはもったいなさすぎるぞ。