『あっ!この家にはトイレがない!』

 昨日、「訪問布教」をネタにしたので、思い出しついでに。言わずと知れた天才河崎実監督作品。と言ってここで紹介(?)してもまず観る機会に恵まれないかもしれない映画なんだが。
 訪問布教(と言う単語があるのかよくわからないが)が出てくる映画と言えば、『ラストデイズ』も思い出した。あの、超鬱状態の主人公に向かって二人掛かりで説教しているシーン。モデルになったカート・コバーンのエピソードにそんなのがあったのかよく知らない。ただ、全体的に淡々と感情を抑えて日常を描くことが基本の流れとなっているこの映画の中に、件のエピソードを挿入したということは、こういった訪問布教がアメリカ人にとって、ごく日常的に起こる事なのか、とふと思ったことを思い出した。まあ、ただ単にセレブだったからなのかもしれないが。信仰を説くことで、既に初めから用意されている、また観客のすべてが知っている「運命の帰結」に何ら影響を与えないといったことが、監督のいかようにも取れる恣意と、「よりリアリティのある日常」を想像させる効果的な小道具となっていたのだが、たぶん。
 ところで、例のクライマックス「主人公がギターを掻き鳴らしながら、心の底から、魂を削るが如く悲痛な声で一人歌う」シーン、強烈に印象に残ってはいるが、その歌を、頭の中に映し出された映像と共に何度聴いてもカートが歌う「WHERE DID YOU SLEEP LAST NIGHT」になってしまう。これはカートじゃないとわかっていても。映画が優れているのか、例の「アンプラグド」におけるニルバーナ及びカートが優れすぎているのか、よくわからん。
 なせかここまで『ラストデイズ』のことばかりだな。『あっ!この家にはトイレがない!』の話のはずだったのに。しかも自分で書いてて何が言いたいか相変わらずよくわからんし。いずれにせよこの二つの映画をこんなカテゴリーで並べて述べてるキチガイは私くらいのもんでしょうか?ただ単にこの1年以内で観た映画だというので憶えているだけなのかも知れないが。
 では、本題。観たのは以前(詳細な月日忘れた)ロフトプラスワンで行われたイベント『トンデモホラー三部作一挙上映』やはり、主人公が「新興宗教の布教に勤しむ女性」という設定からして狂ってる。で、最後にある意味反則的ないオチが待っている、トイレがない家なんだが、最初っから最後まで「二つ並んだ玄関の扉のうち、いつまで経っても開く事のない右側の扉」が絶対なんかの伏線だろうと思ってずっと気になって、玄関のシーンが出るとそこばっか気になり、結局何にも起きなかった時の脱力感、そっちの方がトイレがないよりよっぽどホラーだ。上映後の監督の解説で文字通り「やられた」と思い知らされたそのオチは、「単に家の構造上の問題」で何の意味もないというモノ、この家、おかしいのはトイレだけではない。
 オチに至って結局何の救いもない点、と言うか、家にトイレがなかろうが、子役がすげー不気味だろうが、最後の最後まで家に住む一家の目的がよくわからなかろうが、珍しくお色気シーンがあろうが、役者がクセ者揃いだろうが、それまで用意された周到に張り巡らされているように見える伏線に見えるモノをすべて何の意味もなかったモノとして、ある意味オチがれらと思いっきり乖離させてしまうストーリー展開はおそらく原作からしてこんなあんまりな流れだからなのだろう。ちなみに原作は知らないが。例えるなら「たばこ屋のオヤジと掛けて宇宙ステーションと説く、その心は」に「どちらも自転車屋には売ってない」と答える月の家圓鏡(現橘家円蔵)みたいなもんか?例えがよくわからんな。
 おそらくもう観る機会はないと思う。もし観れるとするなら間違いなく何度といわず大爆笑間違いなし。