『ブラックブック』

 キューベルワーゲンだ!期待していたものの全然出てこないから諦めていたが、最後近くなってやっと出てきた。レプリカなんだろうが、映画の製作者の妙なこだわりを感じますね。たぶんなんのこっちゃわからないと思いますが。ちなみにシュビムワーゲンは出て来ない。映画の前半「河」「湿地」「水」は重要な小道具になっていたのだが。たぶん何を言っているかわからないでしょうが。
 ところで、第三帝国の末期が描かれている映画で必ず観たいお約束の、大好きなシーンがある。北ではソ連に破れて敗走を続け、南では連合国が上陸してこちらでも敗走を始め、敗戦を意識した厭戦気分を持ちながらも、予想もできない未来に対する漠然とした未来を感じる人達・同じく敗戦を意識しながらも明確な未来に目を向ける人達・明らかに意識しているにも関わらずそれに目を背け・信じてもいない勝利に向けて忠実に勝利のための仕事に従事する人々・未だ盲目的に勝利を信じて、仕事に邁進する人々、それらすべての人物がごちゃ混ぜに一堂に会して、一瞬か、それとも永遠か、とにかく現実を忘れようとして刹那、浴びるほど酒を飲み、笑い、踊り明かし、酔い潰れてる、狂喜に包まれたパーティーのシーン。この映画の背景は、国家を動かす目的が、動力が、もはや狂気のみと成り果てた、そんな時代のお話。
 この映画、要するに異常な状況下でいろんなタイプの人間が取った「保身策」を寄り集め、それらに翻弄される事で過酷な運命を辿った主人公であるユダヤ人女性が、最後に安息を得ると言う話。話の中で、運命が二転三転する様は同時に「その時点でこいつが一番の悪者と思われる人物が殺されもっと悪いと思われる人物が登場する(と言うか明らかになる)」ことと重なる。どーしてこんなことになるのか、すべてわかるのがその「悪者」の一人、大変几帳面なヤツが残したノート、即ち「ブラックブック」を手に入れることで明らかになる、というような流れ。所々に「ドンパチ」とか「スパイ」とか刺激的なシーンが入っているためドキドキできて長さを感じない。ワタシ的には車のシーンが出るたびに例の「R・R車」が出ないかドキドキしていたので普通の人の倍ドキドキできたのだと思う。
 で、最終的に主人公(と同時に観客)はこのように気付く。「個人としては誰が悪いわけではない」。最後の最後のシーンは「安息を手に入れた主人公が住む」「パレスチナ人から奪った土地」に築かれた「ユダヤ人の理想郷」「イスラエル」にて、アラブ人達を殺すために飛び立った戦闘機の爆音が響くシーン。
 何が正しいのか?