『モディリアーニと妻ジャンヌの物語展』於Bunkamuraザ・ミュージアム

 特に、「これを観よう」と思って行ったわけでなく、映画の時間待ちの間に入ったのが縁。はっきり言って何にも知らないで入りました。

 何と言うか、モディリアーニの描く「瞳のない」肖像画がどうも。なかなか良い。モデルの内面が毛穴から噴出して本体を包み込んだ様な絵、嫌いじゃないです。にもかかわらず、数多く、アメデオ・モディリアーニが描いたジャンヌ・エビュテルヌの肖像の中で、「瞳」が入っていて、純粋な明るさ・美しさを好意的に表現した肖像に最も惹かれてしまったのは、鑑賞者としての自分の才能が全く持って平凡であることを認めたようなモノか?描き込まれた瞳から視線を逸らすことを憚りながら、自惚れ鏡に赤面し、嬉しいとも悲しいともつかない表情をして絵の前で立ちつくす自分自身の姿が思い浮かんでしまう。

 ただし、最も強く惹かれた絵は上記のモノではない。入り口で自由にもらえる目録、その最後に記されたジャンヌ・エビュテルヌの連作『レ・シャンソン誌のある室内』から『自殺』。言わずもがな。別に己の命と引き換えに描いたなどという大層な気概が感じられる訳ではないが、明るく、空虚で、何の希望も感じられない、描かれている物質全てが不安の記号と化した、間違いなく「何か」を犠牲にした一連の絵。