東浩紀・北田暁大『東京から考える』

 『東京から考える』とするには弱い気がするが、『東京で考える』とするほど論ずる視線は高くなくまた横柄でもないので、やはり『東京から考える』とするのが無難か?それほど総論としてまとまりのない内容の「対談」である。もっとも、論者の二人ともが述べているように、このように大きな題通り論をまとめられるなど初めから期待していない。よって、本書を「複雑怪奇な現在の世の中を生きる上で、私はどのように生きればよいのか?」等、大仰な、所謂人生の指針とすることを期待するような内容ではない。更に言えば、本論全体をひとまとまりとして見た場合、なんら「為になる話」にはなってないと考えた方がよい。その意味で「暇人の読む書」と割り切った方がよい。
 その上で、本書の見所を。論者二人が雑談のように語る「都市のカタチ」「そこに棲む人のライフスタイル」或いは「(論者の言葉での)都市の区分」、それぞれは大変鋭くその本質を切り取り、また冷静にその視線が得られること、更にその比喩的な言葉の言い回し、流石である。ところがそれらの論はそれぞれ章ごとの結論に導き出される有効な言葉となっているかどうかというと、必ずしもそうとは言い難い(その意味でこの書の各章ごとに立てられた題にはほとんど意味がないと言える)。広げた大風呂敷、それも七色の錦の文様を持つ、それにも関わらず、それをそのまんまにして次の大風呂敷、また次の、それらを繰り返して結論は、というような流れに陥ることが多い。
 要するに、著者が意識的に(挑発的とも言おうか)吐き出す数々の鋭く・珠玉のキーワードを拾いながら、読者自身が、読者自身の「表題の問題について」意見・考えを得る上での参考書的な役割として本書を活用するのが最も有効な本書の読み方ではないか。その目的に基づいて読んでみると(「言葉を拾って」みると)大変面白く、興味深い。
 この時点で、私は著者の術中にはまってしまっているのかもしれない。或いは、私自身がただ単に頭が悪くて「総論」として本書を理解できなかった可能性も、正直に。