『アレクセイと泉』

 「人が生きる上で、大地を離れることに躊躇を感じなくなったのは何時の頃からか」。などというありきたりな独白は、大地と共に自らの生き方を省みなかった「文明人」=「日本人」の驕慢に他ならない。
 この映画には、「天からの招かざる恵み」によって汚染されることを余儀なくされたベラルーシのある村、そこに「暮らさざるを得ない老人達」と共にあえてそこに残って暮らすことを選択し、その村にて悠久の時を刻みながら枯れることのなく湧き続ける清らかなる泉と、それらと共に「なくてはならざる存在」となってごく当然の如く生活する一人の青年のお話。
 青年自身も度々述べているように、そんなに遠くない将来、老いさらばえた村人達が絶えたこの村には、穢れを知らない泉のみが静かに湧き続ける。そうなることをわかっていながら、敢えてそのような選択をするこの青年の生き方が正しいかどうか、私にはわからない。ついでに言えば、人々の営みという名の下で、決して豊穣とは言えないまでも、「誰か」から与えられたかのように見える大地に、何処まで手を加えることが許されるのか、よくわからない。などという詩的感情に似た陳腐な感傷は、恵まれた場所に住む「文明人」の驕慢に他ならず、それを現状認識をできないが故の思考停止と言う。