今は無い鉄道に乗って、海の方へ出る

 お断り。本年3月頃の話です。

 土浦を過ぎると、県内有数の幹線と言えども、首都近郊に住み慣れた身にとって、圧倒的に不便な接続本数に当惑する。当然、地元の住民にとっては十分な本数なのでしょう。
 途中、短距離の特急乗車を挟んで、石岡駅に降りる。思い立ったのが本当に気まぐれ、昼も過ぎた東京都内のターミナル駅でのことだったため、のんびりと、余裕を持ってというわけにはいかない。
 上野から、常磐線を水戸方面に北上し、西側の車窓に聳える筑波の峰、いい加減見飽きてきた頃、東側に久方ぶりの接続線、小さな乗り換えホーム、それと東京近郊はおろか、日本全国見渡してもちょっとお目にかかれなさそうな鉄道車両が屯する操車線。わかる人には少し不思議な光景、ただし、当時の私にとってはあくまでも「車窓の一風景」に過ぎず、ただ通り過ぎるのを物珍しく眺めているだけの存在でしかなかった。何十年も前の話である。

 本日、さしたる用もなく、自らも幹線からの車窓の一部に収まるのは、同様にホームに溢れる人々と同じように、この路線の末期の水を取りに来た一人としてに他ならない。初めて乗車する鹿島鉄道は、想像の通り、現在となっては「不急不要」の路線に他ならない。「石岡市街圏」という言い方が正しいのかどうかわからないが、それを過ぎると後はほぼ人家まばらな、ただ風光明媚で、自動車の交通になんの支障もない風景が続く。なんの感慨なく、何も考えることなく乗っていれば、いつの間にか終点に着いていそうな路線。「今は」。
 そこに住む住民が、熟慮とは言い難いまでも選択した結果について、より首都圏近くに住み、地方の「元足」についてノスタルジー以外の何物も持てない自分が何らかの批評めいた発言をする資格など有ろうはずがない。しかし。

 桃浦駅付近で、霞ヶ浦に沈もうとする夕陽を望む。この付近は沿線で最も風光明媚とされる。間もなく永遠に見納めとなる落陽、車窓からこれだけ美しく見える落陽はまずお目にかかれない。湖西線から琵琶湖を望む、岸の向こう側に沈む落陽が、胡中に浮かぶ竹生島の影長くこちら側に引き寄せる様。今まで見た中で最も美しい車窓だと思っていたが、何か、妙な気持ちの分、少なくとも今日だけはこの景色に分を譲りたい。

 終点の鉾田から、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の駅まで歩き、そこから水戸方面に出る。辺りは既に暗く、より無人の荒野を行くが如き車窓から、もはや何の感慨も感じることはできず、にもかかわらず漆黒の風景を眺める。