『童貞ペンギン』

 マジメでタメになるドキュメンタリーの間にお馬鹿映画。シネコンでやってるような映画は頼んでもいないのに見に来る人はたくさんいるが、こういうホントにお馬鹿な映画は頼んでもなかなか見に来る人のいないもの。折りあるごとに訴えているのでもういい加減しつこいと閉口しそうだが、こういう映画が映画館で見れてこそ、映画館で映画を観ることのこの上ない醍醐味である。いろんな理由で今後このような興業のあり方が淘汰されるようなことになれば、それこそ「映画を楽しむ」という趣味は死んだも同然と化します。ハリウッドで作られ世界中で公開される超大作映画は、同じハリウッドで作られた幾数多のエド・ウッドが作る無数のクソ映画の土台の上に成り立っているのです。ちなみに本日私が観た回、1000円で観れるにもかかわらず、観客数5人。あーこりゃゆったりしてて良いわ、っておまえ言ってること違うがな。

 ペンギン。かつて西欧の人々が未知の海へ漕ぎ出した最初期の頃、次々と未知の世界を「発見」する上で、その優れた狩猟者としての酷薄な本能の犠牲となり、気が付いたときには既にこの世から姿を消していた幻の「飛べない鳥」に名付けられた名前である。後に、悪意なくこの大殺戮を行った人々の末裔は、更にその悪意なき知的好奇心を満たすために未知の世界をかけずり回り、地球の南半球に達するに至り、かつて根絶やしにしたはずの不格好な容姿をした飛べない鳥の末裔の如き生物を発見する。ここに再び「ペンギン」の名が蘇る。晴れてその名を襲名した二代目のペンギン達、幸運にもその名付け親によってもたらされる新たな殺戮を逃れ得たのは、人類の英知と成長の証し、などでは決してなく、今やこの世界に於いて神の摂理を手に入れたも等しい愚かなサル共の単なる気まぐれにすぎない。
 そのような偽りの神の摂理の及ばない、雄大大自然の直中、ペンギン達の王者たる「コウテイペンギン」達は、王者ならではのその神々しいまでの姿を称え、王者だけが成し得ることの出来る孤高の掟を守るべく、今日も大自然の、真の神の摂理に抗していた。その掟とは・・・「食って、歩いて、セックスして、子供を育てる」こと。
 その有様を、スターウォーズの偉大なジェダイ、メイス・ウィンドウが屁みたいな声でもってナレーションする。作中、出てくる出てくるしつこいほどの下ネタ。本家本元、「皇帝ペンギン」の主人公まで引っぱり出して放屁させた挙げ句「俺達に何の見返りあるの?」。
 だいたい、「ペンギンが列為して歩いて」て、「いつの間にか何羽かが腹這いになって滑ってる」だけで笑いが取れるところを、更にその不条理な彼らの習性に大変穿った解説とナレーションをつけて、更にテーマが下ネタなのだからこれはもう反則である。
 例の如く深読みすれば、彼らペンギン、だけでなく南極の住民全てをひっくるめてそれらの織りなす馬鹿馬鹿しい習性の数々を、人間世界のバカげた習性を重ねて皮肉っている、と別に深読みせずとも読みとれる。雄大大自然の中で、人間世界の動きとは全く別個に暮らしているように見える彼ら南極の住民達も、水質の汚染やらお空に開いたでっかいオゾンホールの影響やらで、実は深刻なダメージを受けているそうである。「清純そうに見えて裏ではけばブイブイ言わせてやがる」クソ女みたいなモンで、この映画はそのクソ女のブイブイ言わせてる部分を誇張して見せていると思えばわかりやすい。だとすれば、そのようなクソ女を見るような醒めた目で観賞するのが、案外この映画の正しい観方かもしれない。当然、別に何も考えずに笑いながら観てもそれはそれで。
 開演の際、案内のアナウンスをするお姉さんの声が「童貞ペンギン・童貞ペンギン」と冷静に連発してたのが罰ゲームみたいで面白かった。