『草の乱』

 教科書に載るような偉人はこの映画では皆脇役である。弱者の意地、それに沿う様に描かれる、乱の首謀者で唯一難を逃れた井上伝蔵の数奇且つ劇的な運命、そのいずれもが優しく、それこそ「民草の視点」で描こうとすることに重点を置こうとする神山征二郎監督の温かさが伝わる。大変好ましい。そんなに期待せず、半ば何となく観た映画だったこともあり、良い意味で裏切られた感じである。
 この映画の題材となった秩父事件について、「地方の農村が立ち上がり、中枢となる都市に反旗を翻す。もしこれが成功していればまさしく中国の共産革命じゃないか」と誰かが言っていた。おいおい、アノ闘争が革命に名を借りる欺瞞に満ちたただの権力闘争だったことは今や常識だぞ。そんな不純な闘争を「食えないから、食うために立ち上がった」これ以上純粋な目的を持ち得ない闘争と一緒になんかするんじゃない。
 江戸時代、庶民が起こした打ち壊しは規律と秩序が保たれ、決して目的以上の事を起こすことはなく、大変マナーの良い暴動だったとのこと。映画でも描かれているが、この騒乱に於いてもそこらへんの秩序はしっかり保たれていて、決して暴徒化することはなかったという。ああ、世の中は進んだかに見えて、決してそうではないのだ。