その一 さいたま市見沼区 「神明社」

sans-tetes2008-01-31

 別に大願があるわけではなく、特に信心深い訳でもない。だから、晴れて千社詣が叶ったところで何らの恩恵を被ろうとは思わない。私なんぞに恩恵をいただけるのならば、その分をもっと必要な人に分け与えてくれい。
 てな感じで始めた「千社札貼り」を目的の「千社詣り」。目的が不純なので途中で諦めたりする可能性大。だいたい、一から千という数を数えた事ないし。まあ、百社回る事が出来るのなら上出来かな。ところでみなさんは幼い頃親御さんに「最高でいくつまで数を数えたことがある?」などと暇な質問をして呆れさせたことはないですか?
 では、今回お参りして卸したての千社札を初めて張り付けてきた神社は、通っている自動車教習所の正門、道を挟んでほぼ真向かいにあるひっそりとした神社。理由は「教習のキャンセル待ちをしていて時間が空いたから」。
 「神明社」の名が示す通り、天照大神を奉ったお社であろう事は想像されるが、縁起を記した資料もなく、社務所もなく、管理の手間を省くため本殿はサッシの引き戸で閉じられ、賽銭を投げ入れるための小さな窓が戸の取っ手の上部に一カ所ずつ開いており、光のほとんどは入らない本殿の様子ははっきりとうかがうことは出来ない。
 神社の位置は、今も水田が広がる川沿いの湿地帯と少し高所となって現在は密集した住宅地となっている場所の中間に位置しており、「太陽神」という性格上、かつての完全に農業を生業として機能していたと思われるこの地の性格を想像させる。現在、正面鳥居の真ん前に民家が遮り境内からの眺めは失われて境内を包み込むようにしてわずかに残った鎮守の森の面影は、この場所を完全に周囲から隔絶させ、ほとんど参拝客のいない事とも相俟って、神秘性を増している。その場所に、社が二つ。本殿と仲良く並んで鎮座するこぢんまりとした摂社の稲荷社。ああ、大変好ましい。
 目的を達すればお礼だけ述べて別にお願いはしなくても良いとも思うが、せっかくだからお願いしておきます。「検定が問題なく通りますように」。見事願いが叶ったらお礼に参上しますから。