拾遺 流山「武生」街道

sans-tetes2008-02-18

 この千社札奉納が目的の巡礼を始めたそもそものきっかけは、いつぞやの日記 に記載したように、漫画家松本英子さんの『ステキな東京魔窟―プロジェクト松』 に描かれる松本さんの「お稲荷様巡り=お稲荷様への深い愛」が私の中にずいぶんと長い間封印していた「コレクターという内向的自己顕示欲」を刺激、これが己の外部に顕在化する頃には大分捻れた形に、以降多少なりとも目的を持って社寺を巡ろうかな、との控えめな言い訳を免罪符に日々社寺を求めて・・・というようなことから。以来、松本さん直々、ブログにコメントいただいたり☆点けてくれたり松本さん記事繋がりで読みに来ていただける方が現れたりその方からもコメントいただけたり☆くれたりですこぶる御利益あり。日記の文章そのものはそろそろネタ切れ感、私という人間の底の浅さを露呈するような、どうかと思う内容となりつつあるが、社寺巡りそのもには未だ飽きが来ず、まだまだ続けようとの気が充するのも御利益の一部か。
 さて、先に挙げた松本さんの本の中で紹介される「お稲荷さん巡り」、松本さんの純粋にお稲荷さんを愛する動機がマンガのネタとしての当然重要なカテゴリーとはなっているのだが並んでもう一つ、これもマンガのネタとして大変重要なカテゴリー、それは「武生札」。「武生札」が何か説明するのめんどくさいので松本先生の本買って読んで下さい、とここでファンとして宣伝。で、ここからは解る人だけ。
 その「武生札」、今回社寺巡りを始めるに当たって、特には意識せず。件の「ネタ」は大変面白かったのだが、半分は余所事、なぜなら私が手始めに始めた近所(関東某所)の社寺には全く「武生札」はお見掛けしませんでしたので。恐らく心の中で「武生、恐るるに足らず」との驕りがあったのだと思う、今考えると。だから今回、東葛飾郡柏〜流山両市街を結ぶ大変古い由来の道筋に、社寺の所在を求めながらのそぞろ歩き、訪れる寺社(地域柄か、仏教系のお堂が多かった)寺社ことごとくに「武生」の文字。初めての発見時こそ「うわっ、マジ武生だ、スゲー」とかその邂逅を感覚的に驚いていたモノが、行く先々「武生」「武生」「武生」、中には境内にある三つのお堂それぞれに異なる種類の「武生札」。この時点で発せられる私の「スゲー」はもはや別の次元に。
 確かに気になるねぇ。えぇーっとこれに似た故事(?)が。そうそうジブリの『耳をすませば』だ。行く先行く先「武生」の名前、まだ見ぬあなたを追いかけて少女の興味は想いに変わる・・・。ってところだね。事実、「小岩 武生」をググると静かに人気(しかもほとんどのネタの大元はやはり松本先生)。
 ああイケナイ、武生の魔力を振り払わねば、それにはこの街道沿いの武生の札が貼られていない社を見出し、その場所に我が札を・・・。難なく発見、任務終了。こんな場所にお堂があるたぁさすがの武生様も気付くめぇ、的な場所にペタペタすりすりお札を奉納、そして、この時より私の巡礼に新たなる楽しみが・・・。スゲーぞ、千社札