その十 さいたま市見沼区風渡野 「天神社」

sans-tetes2008-02-20

 旧国道16号こと県道2号さいたま春日部線は、市内は元より県内でも有数の交通量を誇り、尚かつ歩行者始め弱者に全く優しくない。とにかく市街地と市街地を結ぶことのみ目的、とりあえず引いてみた、あとヨロシクみたいな二車線最低限の車道の幅、市内主要地に向かう道路とぶつかるやたら多い交差点、特に最近まであまり都市化が進んでいなかった見沼区、大和田交差点を越えて七里駅入り口交差点とぶつかるまで、脇に歩道はほぼ皆無。車道は渋滞していることが多いため、渋滞していないこの時とばかりにやたら飛ばす車に吹っ飛ばされそうになり、渋滞していれば渋滞していたで一瞬で肺が真っ黒になりそうになるくらいの排気ガスのスモッグに曝される。普段車で何気なく通る道を同じ様な気持ちで歩けないこと、大変よくわかる。まあ、別にこんなモノは珍しくも何ともなくごく標準的な日本の道路の在り方なんだろう、恐らく私も、バイクが治ればここに走っている連中と同様、或いはバイクだけにもっとタチの悪い通行者になることは必須、このように自分を棚に上げて他を一方的に「嘆かわしい」とか考える思考も、恐らくは典型的な日本人である証なんであろう。ぐへへ、このまま行けば日本は滅びるぞ・・・。
 さて、この道路、上に述べたとおり至って荒削りな、詳しく言えば「車道以外は興味ねえ」的な造り。それ故に、ふつーに道路を造ろうと考えた場合、「再開発」の名の元に当然の如く排除されるであろう諸々の建造物が結構残っている。散歩することに最も適しない構造でありながら、皮肉なことに散歩をするに適する諸々の「拾いモノ」が多数存在するのだ。先日妙な拾いモノ をして警察に事情聴取されたのもこの道沿いであるし、謎の廃墟、祠、お堂の類も探せば「拾える」。歩く人毎に拾いやすいモノは異なるのだろうが、私の場合当然の如くこのようなモノばかり拾ってしまう。
 だからといってここで紹介する神社が、恐らくは「いい加減な道路造り」によって運良く生き残ったモノに分類はできない。ただ、鳥居入り口から数メートル、参道を削り取るように走る車道、途中から山田うどんの駐車場に脇から入れてしまう参道、極めつけは「境内が月極駐車場」。参道やら境内やらあちこち車の轍で踏みつぶし引っかき回した跡。道路が引かれた時に神社側で折れた中途半端な妥協が、その後定見無く歯止めがかからなくなっていく様がよくわかる。ただどのような形であれ、地域の住民に、いろいろな御利益を与えているのはよくわかる。大変即物的ではあるが。私はこういう神社も嫌いではない。
 さて、ここに奉られているのは天神様。神様としての専門の御利益の法はどうなのか?。お堂の周囲、コマかいガキ共がぐるぐる回って遊んでいる。参拝者が背伸びして千社札を貼り付けている横でオモチャの鉄砲で撃ち合いしてる。おいおい、非戦闘員の市民が通りかかれば撃ち合い止めるのが国際ルールだぞ。おまえらみたいな奴らはほっとくと将来浦和の街をサラエボみたいにしかねん、ということで注意するため呼び止めようとすると皆バラバラ散っていく。考えてみれば当然だ。いつもの神社に見知らぬオヤジ・・・。
 ガキ共の様子から量ろうにも、本業の御利益はいまいちわからない。ここでお堂に目を移すとかなりの数の千社札。場所の記されたモノの内、「大宮」「岩槻」はまあわかる。「春日部」とくるとおっこれは、さらには「江戸」「浅草」「新宿」・・・。ちなみに「小岩」はのし。遠方からの御崇敬、御利益あらたかであることの担保であろう、「こんな場所」に。
 なるほど、道路を造った際、この神社を避けた理由がここでようやくわかった。