国道ふらふらふらふらぼうず ふぅふらふらふらふらふらふらら

 冒頭のは今回私が鶴見周辺を散歩した時に何となく口を伝って出てきた「唄」。気に入ったので口ずさみながら文字通りふらふら、との一言で語りきれない程ここは魅力的な街。
 何故に鶴見かというと、私の主治医が横浜で、その通院途中、うまい具合に第二京浜第一京浜を間違って走行、無事診察が終わった後、病院からの道筋が無事インプットされたた脳内ナビの案内するままに訪れたという次第。
 こんな時バイクは便利。どっか、その気になれば商店街の端に停めてしまってもそんなに場所取らず。などと邪なことを考えていたのと良い感じのお堂が目に入ったのとで集中力が半減、見事に立ち転け。商店街の真ん中で重いバイクを必死に起こすのを後目にバスが、車が、爺ちゃん婆ちゃんがするすると横を通り抜けていく。「がんばれや」「しっかりな」、欲しいのは掛け声ではなく手なのだが、まあ年寄りだし。
 鶴見名物(?)「総持院前、開かずの踏切」。鶴見線目当てのテツの穴場として知られる歩道橋、これを利用できる歩行者はともかくとして、ここを車で渡ろうというのはなかなかの忍耐と、ほんのちょっとの勇気がいる行為。もしくはよほどの横着者か。ヒマな私はこの名にしおう11メートル踏切を踏破、当然のように途中で踏切が鳴り出し子供チャリのおばさんと共にそこそこのスリルを味わう。
 踏切の名にその名を冠し、1キロ離れた本町通商店街からも災害時避難場所に指定されている広大な総持寺、宗旨はうちと同じなのだが、どうも興味をそそられず、境内入り口にこれ見よがしに置いてある旧型電話ボックスを写真に収めて引き返す。いくら待っても開く気配の訪れない踏切を断念して素直に歩道橋。そこには通過する電車の物音に身じろぎもしないハト達が集団で鶴見線を見ていた。
 東海道線をまたぐ鉄橋は鶴見線内で数ある見せ場の一つで(よう知らんけど)、ついでに京浜急行線も渡って路線はそのまま国道駅に向かう。このわずかな間にもう一つ駅があったのは信じ難い。やはり昔の人もこの長大な踏切を渡るのは億劫で、わざわざ電車でもってこの間の行き来を行っていたものの、歩道橋の落成をもって鶴見側の本山駅の意味合いが失われ、ついには廃止と相成ったのだろう。橋の落成によって価値を奪われ次々消えていった渡し船と同じように、これもモータリゼーションの一環であろう、ワケがない。
 電車の高架下の利用価値、まず駐車場をもって第一とする。別に誰が決めたわけでないですけども、一番手っ取り早く金になる。後は死角だらけの児童公園とか。最近は、何やら店舗等を充実させ、より金になるテナント料徴収と殺風景な空間を埋めて駅前活性化も図る試みが増えている様子。その意味で、高架の下に住宅を造る、というのはまさしく現代の先を行く最先端の様式。京急線を越えて第一京浜を跨ぐまで、鶴見線の下は隙間無くレゴで組み立てられたが如く全て住宅地で埋まっている。屋根上を電車が通るというパラドックスさえなければどれも立派な文化住宅、一片だに無駄のない造りはまさに造形美、鉄路の弧に応じて住宅もまた緩やかなカーブを描き実際の中の空間を是非とも拝見したい欲求が抑え難くなる。そして、ほぼ全住居現役。本気で住みたい。
 第一京浜に遮られ、この無駄のない住居の群は一旦途切れる。道路沿いに面しトリを飾る住居はどうやら何らかの商いを行っていた様子。残念ながら今は空き家の様子。住居は遮られようとも当然鉄路は続く。道路の向こう岸に、線路に沿ってパックリ開いた、まさしく何処に続くか定かならぬ洞窟、これこそが鶴見線「国道」駅である。「地名に因らない」駅名はそう珍しいことではない。例えば最寄りのランドマークとか文化施設にちなんでとか。この「国道」駅も地名に因らず、言うなれば最寄りの「ランドマーク」が駅名の由来となっている。ただそのランドマーク、「国道15号線(開通当時は1号線)」という道路。今でも日本の大動脈を形成する大事な路線、決して「何の変哲の」とは言わないが、この「四男以降は名前考えるのめんどくさいから順番+郎ね」みたいな投げっ振りと、それが「地図として残ってしまう」という大胆さに強く感銘。
 さて、入り口を機銃掃射の跡
でもって迎えてくれる国道駅、先ほど遠くから見えた「何処に続くか解らない」感、全くもって正しい直感であること、改めて確認する。高架下はトンネルの様相となっていて、線路に沿って緩やかに弧を描くため、ここから対極にあるもう一方の入り口は容易に望めず、入り口少し入って左側に現れる改札に「逃げ」入らなければ、この不安感は解消されない。
駅の区域を除くと両側全て住居と店舗。
薄暗い洞内、恐らく完成してから恐らく一度も日の光晒されたことのないであろう住居の壁、なにもこちら側に造らなくても良いのではと思われる二階の窓、何軒かは頑張って居住、もしくは営業中。国道駅商店街、お店のラインナップは「焼鳥」屋と「釣り船」屋??? 他にも「不動産屋」「鍵屋」等かつての生活の匂い、現在も灯を絶やさぬこの二店は正反対の営業時間らしく釣り船屋の電気が消えると焼鳥屋が水を撒き始める。昼間は釣り客で繁盛、夜は飲み屋で繁盛、少なくともこの佇まいがこのまま残るように、両店とも繁盛してほしいモノだと正直思う。それにしても、ここで飲むと酔いが早く廻りそう。「国道下」というお店の名前も理に適っているようでその実なんだかわからない。
 ここは、そう、昭和なのだ。その、出来かけの東京タワーを礼賛し、本来の「自らが壊した」事実に目を背けひたすらに思い出に浸るのみの「夕日」な昭和ではなく、栄光の大正に射した陰に漠然と資本主義の崩壊を予測し、それを体現する現実と、確かなモノの見えない未来、暗く、澱み、まるで希望なのない大多数の人々が、黒い外套に身を纏い、黒いマスクを口に被い、当てもなく彷徨う、そんな昭和。
 ただこの場所の良いところは、そのような思いに浸っても必ず現実に戻ってこれるということ。
 そんな体験を、短いトンネルを抜ける間に出来てしまうこの「国道駅」はお得ですよ。近くに車停める場所がないのでお越しの際は鶴見線、もしくは徒歩で。