その二十 中野区東中野 『氷川神社』

sans-tetes2008-03-11

 山手通りは坂が多い。全面利根川多摩川水系の毛細血管のような小さい川に覆われ、それに付属する湿地帯、江戸の昔からそれらをとにかく塗りつぶして住む場所を確保してきた東京の街。それを南北にゆるい弧を描いて横断する山手通。今は首都高の工事のためあちこちほじくり返していて、坂と現場と、些かの注意をしながらこの通りを通る。
 オールナイト上映後の夜明け、さすがにこの季節ともなると、まだ暖かさのおっつかないせっかちなお日様が、結構早い時刻から顔を出す。これから一寝入りしようにも、こうも明るく空気が冷たくては具合が悪い。人も、車もほとんどまばらな東京都心、こんな日にバイクで走り回ることもあまりあるまい。ということで山手通から少し都心に向けて走って見ようと思い立つ。
 ところがこの私のささやかな野望は、東中野の駅から一つ目の坂を下り切る前に簡単に潰える。道路に面して、なかなか立派な鳥居が顔を出す。当然の如く、バイクの暖まり切る間もなく、予定を変更して件の神社に参ることに。
 山手通り側に顔を出していたのは脇参道の鳥居で、正面は坂を下りきり、交差点を左に、住宅地の中に更に立派な鳥居がお出迎え。見ると「氷川神社」の文字。偶然にも連続で同じ名前の神社であるが、都内埼玉の互いとも違いなく、ここが紛れもなく武蔵国、お氷川様のお膝元にある証左であろう。
 正面一の鳥居から、二の鳥居、更には階段を上って本殿までは割合歩く。途中、参道の両脇に立派な灯籠が並びその外側にはこれまた立派な住宅がずらり。まあ、「良いとこに住んでますね」。二の鳥居の脇に砕けた鳥居の欠片が転がる。こんだけ立派な鳥居が建てられ灯籠が置かれ立派な参道が敷かれているのに、この欠片の存在は大変奇異。奇異といえば参道階段を上る途中、左手に「忠孝碑」これ自体は全く珍しくないのだがそのトナリになにやら巨大な錆びた球形の物体。アメリカの荒野でたまに見つかるオーパーツのような佇まい。地元の人々に十分な崇敬を集めていること、境内の様子を見れば一目でわかる。それ故の「奇異」というかツッコミ所が却って好ましい。
 崇敬は人の流れでもわかる。この朝早くから途切れ途切れに参拝する人、元は荒ぶる神にいかな御利益を求めてのことか。
 やはり、立派な社殿への奉納は勇気がいる。何より社殿の柱がカナモノのためうまくお札が張り付くか不安。こっちをバッチリ防犯カメラが見ているし。何より本殿には千社札が一枚も貼られていない。一時は摂社末社にさせていただこうと思うが、この時は何故か無性に本殿への強いこだわりが。参拝者の去った合間を見て目立たぬ場所に。もしも何か差し支えあればお剥がし下さい、と言い訳しながら手を添える札を通して、カナモノの本殿のこれが冷たいこと。まあ、ささくれが指に刺さらないのはよいが。
 東中野にはよく来るので、このまま人為に葉がされず、御利益が継続すれば良いな。