その三十 横浜市旭区川井本町 『神明神社』

sans-tetes2008-03-21

 「日暮れて道遠し」この日はまさしくそんな状態で、明日の仕事を考えて遙か埼玉までさっさと帰らなければいけないところを未だ横浜、何故か八王子街道を北西にひた走りに走っていた。
 「また来る機会があるだろう」というのは私の大変悪い癖。なんか面白そうな場所、雰囲気の魅力的な場所、自慢でないがそんな嗅覚には人並み以上には優れている自負はある(と言っても自分の趣味・指向の範囲を越えるモノではないが)。散歩の途中、ドライブの途中、ツーリングの途中、道ばたに風景の中にこのようなモノを敏感に感じ取ることは目的の一つとしていることは多いのだが、同時に極度の無精性も自らの中に内包もしていて、いざ足を止めるとなるとそいつがもって足を止めることを止めることもしばしばなのだ。その時の自分への言い訳として言い聞かせる言葉が件の「また来る機会があるから」という免罪符。普通に考えて、宮崎と熊本の県境、人が住んでるのかどうかも判らない場所に立てられたやたら立派な観光看板、普通に考えて今騙されなければ今後こんなモノに騙される機会などまず訪れようはずはない。と言うわけで最近の私の免罪符が「今買うとかんともあと買うとこないですよ」。普通に考えて更に始末に負えない可能性を秘めたモノに。モウ歳だし。
 ただこの日は、本気で急いで帰りたくて、バイクに跨りながら「これは完全な帰り道。途中に何があっても寄らない」と心に決めて、いたはずで、悔し涙に咽びながら夕日に佇むいろんな社を振り返らずに通り過ぎていく。振り返ると危ないので。
 そしてとうとうこのお社を通り過ぎるに当たって私の思いは爆発、Uターンしてお社まで戻る。だって、こんな立派な削り出し(?)の木の鳥居をそのまま通り過ぎていくなんて・・・。
 神社前の交差点「宮ノ前」は文字通りこの神社にちなんだモノだろう。これだけ立派な鳥居があるのだから続いて二の鳥居と続き立派な参道の先に荘厳に社が佇む、と思いきや鳥居は一つ、くぐるとすぐに丘を登る階段で、登り切った先に、丘の縁を囲む木々に囲まれた広場様の境内、本社と舞殿、本社の西側に摂末社の稲荷社が一つ、非常にシンプル。暮れかけ日のせいで境内は既に暗く、鳥居に社神を現す額が掲げられてないこともあり、後々までこの神社・祭神名は判らなかったのだが、後ほど天照大神を奉る「神明神社」と判って何故か納得。お日様の恩恵を十分に戴くため境内広く広場があるのですね、と勝手に想像する。神明社続きなのは偶然であるが、或いは相模の地に取り立てて多く神明社が奉られているのだろうか、調べてないのでよくわからない。
 摂末社の稲荷社は一転して境内周縁の木々の傘の元に鎮座しているのだが、社の前から道とは言えない道が谷状に丘の下の街道沿いまで坂となっていてお稲荷さん専用の参道にも見え、漠然と「人でないモノ」の為の参道を想像。四つ足の者達、イヌでもネコでもコタツでも、もちろんお狐さんも、群を成して、或いは個々に、この坂を登ってお参りする姿を想像。
 稲荷社には奉納者の紋か、蝶若しくは蛾の意匠。和物の意匠に造形が深いわけでないのでよくわからないが、私はその意匠に使われる「醜き物」が好き。蝶も拡大すれば当然「醜し」。とは言ってもここに彫られた意匠は蝶ではなくて蛾だったら良いな、とか思いながら三カ所ほど彫られた「鱗翅類」の意匠を上から撫でてみる。
 もうその頃には辺りは暗く、本社にその様な意匠が彫られていないか確認できない。確認できたのは、結構な数の千社札の中に「抜き」があること。以前の変則的な「抜き武生」札を除くと、「抜き」を見るのは初めて。社と一体化した文字は格好良い。「抜き」と成れる千社札の構造から、もしかしたら既にこの世にいないかもしれない抜きの主の願いがこの場に残り、願いの成就は既に彼方へ、今はただただ神さんと共に。少しあやかりたくて私の札は抜きのお隣に。
 そう言えばこの日はどうやって帰ったっけ? ふらふらふらら・・・。