『ノーカントリー』

 死屍累々・・・。まず思ったのが物語中の殺人鬼アントン・シガーの知能指数ってどれくらいだろう?ってことでしょうか。既に自分の掌に乗せた相手の命に、更にダメ押しの如く言葉で弄ぶ時の表情が何とも言えない。作中に圧倒的存在感を放ちながら、無表情に日常(殺人・窃盗・運転・捜索・治療)をこなすその様相、そこから植え付けられる印象は機械然としていて、日の落ちた屋内に電灯を点けず黙々と家事をこなす専業主婦のような空辣さが、却って中身の見えない事象への恐怖を錯覚する。
 設定は1980年のお話ということで、「古き良き」「素朴で陽気な」「善良なアメリカ」気質を残すこの場所(たぶんテキサスのド田舎)から、このような人間が大活躍していく様はまさに将来のアメリカを象徴。悪意は善意に勝り、マネーの重みは悪意をより肥大化する。ある意味善悪超越するが如く「自己の規律に忠実に則して」感情を微塵も感じさせず行動するこの殺人鬼が、一瞬だけ感情の変化(それも「−」でなく「+」の感情)を予感させた時、何者の意思かは解らぬ鉄槌が下されるラストのシーンは衝撃的。「我に返った」殺人鬼が次に為した行動が、これまた善意を「価値化」する事で踏み躙る涜神行為であり、常に善意を凌駕する悪意のあり方は実に見事、のためヘドが出る。あまりに圧倒的な悪意の象徴の姿に、作中善意の象徴にしてあまりに無力な保安官の大事な言葉が響かず、結果「死屍累々」が最も印象に残ってしまったみたい。
 銃捨てろよ、野蛮人共が。