その三十三 狭山市入間川三丁目 『清水八幡宮』

sans-tetes2008-03-24

 祭神は清水冠者源義高。この祭神を本社とするのは恐らく日本で唯一であろう。
 源義高は木曾義仲の嫡男で母は巴御前と伝わる。源頼朝と義仲との対立回避のため、頼朝長女大姫の婿にとの名目で鎌倉に送られる。事実上の人質ではあるが、許嫁とされた大姫とは仲睦まじく大姫の母で頼朝の正妻の北条政子にも覚えはめでたかったらしい。その後義仲と頼朝は対立、干戈を交える事となり、敗れた義仲は滅ぼされる。その後、将来の禍根と成りかねない義高は頼朝の忌む所となり、これを殺害せんとの追っ手を差し向けられる。事前に危機を察した大姫、政子の手引きによって義高は鎌倉を逃れたものの、この地にて追っ手に追いつかれ、遂に討たれる。知らせを聞いた大姫はその後気鬱の病に陥り床につくようになり、また生涯父頼朝を恨み、二十歳にしてこの世を去る。吉川英治は『新・平家物語』にて死の床にある大姫の枕元に義高の肖像を置き、最後まで心の依り所とする演出でもってこの悲劇を強調する。
 私はこの悲劇の貴公子が好き。義仲譲りの美男子、更に母巴の血を受け継ぐことで将来勇将たるは約束され、幼い頃から大器の片鱗を見せていたこと、切れ者北条政子に婿として認められていることから間違いないであろう。頼朝をしての非情の措置は、その血だけでなくその才能をも警戒してのことであろう。未完の大器が若くしてその意に反して摘み取られる悲劇に、多く想像力をかき立てられる。
 地元の人々もこの悲劇の人生を哀れみ、討たれて後よりこの地に彼を奉る祠を建て、これがこの神社の前身となったとのこと。800年の長きに渡り、社は何度も川の氾濫に見舞われその度に再建したという。現在国道16号線沿い、入間川とに挟まれた狭い区域に佇むこの社、国道を通る車からは目立って見えるようで、その実この「ひっそり感」、後の世にあまり世間に知られぬ事で、追っ手に見つかり討たれた悲嘆をせめて慰めようとの配慮か、そう思えば脇を駆け抜ける車の轟音もそんなに気にならない。現に、社の西側、川側に腰掛けて休めば騒音も、排気ガスも、全ての不純物が遮断された様に思い、身を隠したつもりになれるよう。
 源義高様、はからずもこの地にてあなた様に出会えたこと、大変嬉しく思います。