『コントロール』

 みんなが知ってるイアン・カーティスの半生を描いた映画。何?知らないって?あっそ。
 イアンの妻デボラの手記が原作ということで、デボラの目から見た「普通の夫」であるイアンの姿が強調される。故に最も気になる彼の自殺の真相は「至極ありきたりな」理由となっている。まあ、真実はそんなモンだったのでしょう。愛する人の無惨な死を第一に発見するデボラの悲嘆や後悔たるや並大抵のものではないであろう。その後悔を演出するように映画全編モノクロ映像。所々当然の如くジョイ・ディビジョンの歌が挿入され、その陰鬱で暗い歌詞はそれぞれのシーンで大変効果的な演出。ただイアン役のルックスはともかく声は全然似てないのが時に興醒めしてしまう。ライブ以外のシーンでは本物のイアンがボーカルを取る歌を流していたのだからどうせだったら全部吹き替えにしてしまえばよかったのに。
 はっきり言って、ジョイ・ディヴィジョンイアン・カーティスをよく知らなければ面白くも何ともない映画だと思う。家族と愛人とバンドと観客と病と、統制(コントロール)の効かなくなった身の回りに起こる全ての事象をプレッシャーとすることで怯えることしかできない彼の凡人然とした姿にあの強烈なインパクトを叩きつけるロックスターの面影は感じられない。感じさせないように狙ったのだろうが、それでは彼を敬愛して止まない一部の人々の共感しか得られない。まあ、一般受けするバンドではないので仕方がないといえば仕方がないのだが。ただ、私が初めてジョイ・ディビジョンを聴いたときの衝撃を忘れられないように、映画で字幕が付いた彼らの歌詞が頭にこびりついて彼らに興味を持つビギナーがいてくれれば嬉しいかも。
 大変利己的な意見なのだが、本音を言えばジョイ・ディヴィジョンに限ってはいつまでも知る人ぞ知る存在に留まっていて欲しい。ただ、もしかしてこの映画を期にいつかのクィーンのようににわかジョイ・ディビジョンファンが増えてカラオケのレパートリーが増ると、むちゃくちゃ暗い声でこれでもかとばかりにATMOSPHEREをかますことができるのに、更に悪ノリしてK・K・K然とした三角帽(よう知らんけど)被って周囲をドン引きさせよう、と密かに期待はしている。