西原理恵子『毎日かあさん4 出戻り編』

 初期の『鳥頭紀行』とかに登場、『ジャーナリスト』としてサイバラと取材を重ねながら、一方で自らの性的マイノリティー性とかについてもボロクソ書かれて笑かしのターゲットにされてる勝谷誠彦さんが、今は「コラムニスト」なる肩書きでもってテレビでラジオで言いたいこと言ってるそうな。テレビ見んので正直よう知らんけど、チベットのこととかゆうつべで調べてていくつか出てきたモノで。マンガに描かれているほど可愛くはない外見でもって何やら言いたれているが、別に気になるのは彼のことではなく、彼の紹介によってサイバラと知り合うことになった鴨志田穣氏が元気なら、今の世界の状況、危険顧みず「危険なバショ」に飛び込み取材とかして、下手したらテレビにデビューなんかもしてしまって、とか考える。ゆうつべに落ちてる勝谷氏の動画にそれ以上の感想を感じない。
 鴨志田氏が亡くなったとき、そのことを「描くのかな?」と、必ず描くに違いない西原せんせの作品に期待、期待通り描かれたのが本作。何故、今更の紹介というと、読み終えてしばらく、悲しすぎて感想を書くのに整理しきれず、そのまま棚に置いたままになってしまっていたからで。なんか今回ゆうつべの勝谷氏の動画を見ていたら思い出していまなら書けるかなぁ、と。
 悲しいのは、決して「鴨」というサイバラ家にとって大事な人が亡くなってしまったという事実そのものでなく、図らずも自らの業を重ねてしまう西原せんせに対しての感想であり、それをこのように描くこと、「人生経験を切り売りすること」を生業とする事への凄まじさに悲しさとそれ以上の感動、そして「切り売り」する全ての人々へ畏怖と敬意。
 「経験を切り売りすること」とはちょっと違っているかもしれないが、鴨の「見たい物、見なければイケナイ物、伝えなければイケナイ物」それを確かめるために身一つでもって「死地」に飛び込む経験、その業故に死の病に魅入られたようなようにも感じる。恐るべき経験はアルコールという死の契約書にサインすることでしか紛れることがなかったのだろう。
 アルコール依存症とは決して本人の努力が足りないが故の病態ではない。にもかかわらず未だにそのすべての原因を「自己責任」と帰してしまう世の風潮の中、サイバラの晩年の鴨に対する関わりは家族として出来うる最大限の関わりとも思う(このマンガから察するに)。その様子は本書にてあのタッチで優しく描かれる。既に宣告されたその時が近づいた時、その終わりが過ぎた後も、その現実を直視することに戸惑い、ぎこちなく接するサイバラかあさんを支えるのは、「その存在を何よりも感謝する」息子と娘。これはもしかしてこのマンガの真の主人公を初めて明かした言葉? 一方でこれ以上に、鴨の人生を肯定する言葉があるだろうか。あ、このシーン思い出すとやっぱ涙が出そう。冷静では書けないや。
 明後日、長野で聖火(?)が走る(?)。見なければいけないコト伝えなければいけないコトのために体を張った、鴨志田穣氏に少し肖って。