葛飾北斎『八方睨み鳳凰図』

  北冥有魚 其名爲鯤 鯤之大 不知其幾千里也 化而爲鳥 其名爲鵬 鵬之背 不知其幾千里也 怒而飛 其翼若垂天之雲 是鳥也 海運則將徙於南冥 南冥者 天池也・・・

 ここ信濃の地に、南冥のあること初めて知る。鵬の住む天池とは、即ち岩松院なる寺院に当たる。
 小布施の駅を降りて天池に向かう。今日はまことにおかしな天気。雨の降る、雲晴れる、陽隠れてまた雨の降るの繰り返し、まことに行動するのに不便な陽気であるが、鯤より変じた鵬を見に行くには或いは相応しい日和と言えなくもない。
 鵬は何処から生まれ出ずるや。荘子に従えば巨大な魚の変ずることで鵬とならんと。西洋に伝わる不死鳥は、火より生じその命数の尽きたるを悟れば自らを火に投じ、その炎より再び転生せんとのこと。眼一つに係わらず、その名の通り周囲八方を睥睨する感、鵬のその身は何処に有りなん。その身は地にあらず宙にあらず天にもあらず、当に今まで揺籃された仮の身よりこの世界に生まれ出たその瞬時、変生の後跡を窮屈に身に残し、まさにこれから果てしなく広がる鵬の身体、この時ばかりは蜩與學鳩もその姿を可視せん。
 さて、この鵬を眺むる席、何れの位置に取ればよいのか、その何れの位置にありても鵬の持つ眼力の容赦するを知らず。眼光の後より観者に降り注ぐ都合十尾の尾羽、それぞれに異なる色光を帯びて、これもまた容赦なく観者に降り注ぐ。世に身の収むる場所なき鵬の身より、地にありて眺める観者への果てしなき色光の乱舞、いずれ観者の身をも、或いは一瞬、或いは永久に、自らの場に引き上げ容易に地に戻すことを拒むの力、目と羽に宿すなり。
 静寂にありて揺動、天地を揺るがすかのような彩光、ここはまさしく南冥なり。